非6日創造論者へ


「神様は進化する生物を創造した」という考えがまだクリスチャンの中にあることを知って驚いている。

聖書には何と書いてあるか?

「神が、『地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。』と仰せられると、そのようになった。
それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、それをよしとされた。 (創世記1・12)
それで神は、海の巨獣と、その種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、その種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神は見て、それをよしとされた。 (創世記1・21)
ついで神は、『地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。』と仰せられた。するとそのようになった。(創世記1・24)
神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。(創世記1・25)
すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。(創世記8・19)」

何度も何度も「種類にしたがって」と書いてあるではないか。

あなたは、この神の言葉の宣言を否定してもよいのか?

あなたは、神を裁くことができると主張できるのか?

あなたは、一体何者か?

「聖書は神の霊感によるもので…ある」(2テモテ3・16)とパウロは聖書の中で主張している。

聖書は人間が書いたので間違いがあるというのをやめなさい。

聖書は人間の手を使って神の霊が書いた書物である。

だから、それを否定する人間は、神を否定する人間である。

そもそも、進化を経なければ現在の動物植物を作ることができない神とは一体何物だ?

あなたは、神を「試行錯誤を必要とする人間のようなもの」と誤解しているのだ。

神は、「宣言によって」完璧なものを一挙に一瞬に創造できる。

神は時間の創造者でもあるから、時間に左右されない。

進化論を肯定するクリスチャンは、「聖書の」神を信じていないのだ。

彼の神は、超越者ではない。彼は、時間と空間の枠組みの中に神を閉じ込める。彼は、神を被造物の一つと誤解している。

彼の思考パターンは、ギリシア哲学者や近代哲学者と同じだ。

神を被造物と同列に置き、同列に置くことに良心のとがめを感じるのか、「しかし、彼は完全である」と付け加えるのが常だ。

オーディション会場において、どんなに優れたパフォーマーであっても、審査される側に立っているという意味において彼はパフォーマー以上のものではない。

神は審査される者ではなく、審査する者である。

神は絶対に裁かれることはない。神は第一原因であり、創造の以前に神以外の何物も存在しなかったのであり、神は無からすべてを創造されたのであるから、誰からも裁かれる理由はない。

神の創造を「瞬間創造」と考えないすべての人の神とは、超越者ではなく、一種の被造物である。

それは人間の想像力が作り出した偽者である。

6日創造説以外を信じる人間は、本当の意味でのクリスチャンではない。

あなたは神を裁いて、事が丸く収まると本当に信じているのか?

 

 

2005年7月11日

 

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