パーシャル・プレテリストが正しい預言解釈である


<Q>
1)「チェーン式新改訳聖書」の、マタイ24:16〜28の欄外注に「ここに記される多くが70年もエルサレム陥落によって文字通り実現した。しかしそれも終末の前兆の一つで、ひどい苦難が続く終末の時代の時代に教会が絶えず経験していくことへの警告と見なされる。」とありますが、プレテリストはこの文章の後半を否定されるのでしょうか?

<A>
そうです。

「ひどい苦難が続く終末の時代の時代」といいますが、聖書のどこに終末の時代にひどい苦難が続くと書いてあるでしょうか。

マタイ24章の「終末の前兆」は、はっきりと「このゲネア(世代=30〜33年)のうちに起こる」と言われている(34節)。

むしろ、聖書は、「すべての国民を弟子とせよ」と命令しており、この歴史の中において、世界のキリスト教化、弟子化が進む、と宣言している(マタイ28章)。

神が人間を創造された原初の目的は、人間に地を支配させることであった(創世記1・28)。そして、この使命は、ノアにも引き継がれ、ノアの後の時代、つまり、我々の時代に通じる命令であると明らかにされている(創世記9・1-3)。

つまり、神は人間がこの歴史の中において地を支配することを望んでおられるのだ。望んでおられないとすれば、なぜ命令したのか、ということになる。

命令されたということは、それが成就することを望んでおられ、また、それを実際に成就される、ということを含意している。

また、使徒3・27では、終末は、「万物が回復した後に来る」とはっきりと言われている。

「このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる(原語では、「回復する」)時まで、天にとどまっていなければなりません。」

つまり、万物が回復した時に、キリストははじめて天から降りてこられるということだ。それなのに、どうして、終末の時期には苦難があると言うのか?

終末の前の艱難について説く人々は、よく調べもしないで、通俗終末預言本を鵜呑みにして、24章を勝手に、聖書的根拠なく、世界の終末の記事と解釈しているのだ。

まったく、違う。

聖書は、黄金の未来を予見している。

諸国民にキリストという世の光が現われ、暗闇に座り、望みもなく暮らしていた異邦人に光が差し込み、神の御前に従順になり、彼らの手の業によって万物が回復していく。そして、終末において世界はキリストによって制服され、神の法によって政治も経済もあらゆるものが運営され、神の御心にかなった秩序に回復される。それから、キリストが再臨されるのだ。

<Q>
2)エルサレム陥落時に主イエスは「あなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでに」なったのでしょうか。また、そうならばそれを支持する聖書箇所をお示し下さい。

<A>
フルプレテリストは、YESと答え、パーシャルプレテリストはNOと答えます。
昇天と同じありさまで紀元70年にキリストは再臨された、とフルプレテリストは言います。
我々からすれば、あれが「同じ有様」なのか?と思わずにおれません。つまり、ローマ軍によるイスラエル侵攻が「同じ有様」なのか?と。フルプレテリストはYESと答えるのです。

しかし、パーシャルプレテリストは、NOと答えます。
紀元70年の「来臨」は「再臨」ではない。再臨は、終末時にイエスの昇天の有様と同じ有様で行われるだろうと、考えます。

<Q>
3)プレテリストの解釈では、現代の私たちにとって1コリント13:8「預言の賜物ならばすたれます。異言ならやみます。知識ならばすたれます。」は文字通りなのでしょうか?

<A>
フルプレテリストの場合文字通りでしょうが、パーシャルプレテリストの場合、そうではありません。この個所でパウロは、預言や異言が止む時期を「個人的終末」においています。つまり、自分の個人的死です。
パウロは、個人が死ぬときに、この堕落した肉体を離れて霊になるので、すべてのことがはっきりと分かるようになる、と述べているのだ。

<Q>
4)フルプレテリズムでは1テサロニケ4:16〜17、黙示録21:3〜4も成就したことになるのでしょうか。今現在の私たちは携挙されて、もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない状態にあるのでしょうか?

<A>
そうです。
おかしいと思いませんか?
私は信じられません。

 

 

2004年10月10日

 

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