神の決定によらずに起こることは一つもない
> (1)創世記1:2「神の霊は水の上を動いていた。」から、「聖霊様は創造主である」
> ここはヤーウェが、創造主なる父と、「ことば」として現れた御子イエス・キリストと、
> 聖霊様の三つのペルソナとして現れて天地創造にかかわっておられた、ということ
> ではないでしょうか。聖霊様=創造主は、短絡ではないでしょうか?(カトリックの典
> 礼では「創造主なる聖霊」と言っているようですが)
「動いていた」は「舞っていた」と原語ではなっています。
(鳥が)舞うという表現は、旧約聖書にたびたび「保護」を表すものとして登場します。
それゆえ、ここは、聖霊が創造された世界を保護していた、ということを表します。
聖霊だけが創造に参加したのではなく、父も子も参加されました。
「わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。… 」(箴言8・30)
「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」(コロサイ1・16)
それゆえ、創造のプロセスにおいて、三位が働かれたということは明らかです。
> (2)「創世記3:24の「炎の剣」は聖霊様である」
> 罪を犯した人間をエデンの園から追放され、後戻りできないようにされた
> 事の象徴である「炎の剣」が聖霊様だとすると、(少なくともこの時点におい
> て)聖霊様が人間との交わりを拒絶されることにならないでしょうか?
「剣」は、新約聖書において「御言葉」を象徴しています。
「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。 」(エペソ6・17)
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。 」(ヘブル4・12)
「また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」(黙示録 1・16)
「だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。」(黙示録2・16)
「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。」(黙示録19・15)
「残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。」(黙示録19・21)
「炎の剣」とは、御言葉を表し、「神との交わりを回復する者は、御言葉に従って贖いを受けた者だけである」ということを表現しているのではないかと思います。
> (3)「神様は、人間が罪を犯すことを予期しておられなかった」
> いくらなんでも、それはないでしょう??
全知全能の神は世界に起こるあらゆることを予期しておられるだけではなく、あらゆることを決定されたのです。
つまり、人間が罪を犯すことをあらかじめ決定されたのです。
「それでは神は人間の罪の創造者か?」という疑問が起きるでしょうが、神は人間が罪を犯す意思を持つことを妨害しないことによって「人間が罪を犯すことを予定された」のです。
神の決定によらずに起こることが一つでもあれば、神は「被造物によって影響を受ける」方ということになります。影響を受けるのは絶対者ではありません。
歴史のすべてのプロセスはあらかじめ神が定められたことであって、「偶然に起こること」や「神が知らずに起こること」は一切存在しません。
2004年3月23日
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