教会は偽クリスチャンを集めるのをやめるべきだ
> 再建主義や預言の賜物のある教会は、私には冷たくきびしく見
> えます。
> 聖書を大切にする点では勉強になりますが、実際自分が放蕩三
> 昧の中教会をたよったので、どんな人の事もただ聖書のみこと
> ばを語ればいいとは思えないのです。
本当の冷たさとは「無関心」です。
表面的な暖かさは必ず裏切ります。
真理に固執しない人は、原則がない人なので、裏切ることに躊躇しません。
真理に固執する人は、原則を破り、裏切ることに耐えられません。
> 聖書の主のみことばは生身の人間が体験し書いてあるから間
> 違いもある。
聖書のみことばは、生身の人間が体験し書いてあるが、それは、すべて霊感を受けています。つまり、聖霊の導きが一言一句に及んでいます。それゆえ、人間が書いたものではありますが、神の著作です。神の著作に間違いがあるはずがないですから、聖書には間違いは一切ない。
聖書に間違いがあるとするならば、人間が頼る規範は存在しないということになります。つまり、すべて人間の主観によってキリスト教の教えの内容を変えてもよい、ということになり、キリスト教は崩壊します。
> だから、人の心に届く。主が働かれるという事が
> 少し見えてきたような気がします。
> まちがった解釈でしたらすみません。
人の心に届くか届かないかは、聖霊の働きです。
人間の技量はまったく関係ありません。
ここが文学作品と聖書との違いです。
感動的な話で人間が救われるならば、感動的な話が中心となるキリスト教になり、キリスト教は人間中心になります。
いわゆる感動的な例話で回心者を募る伝道会を中心とするキリスト教は、多くの「偽クリスチャン」を招き入れることになります。
現在の教会において、聖書的なことを言うと異端扱いされるのは、偽クリスチャンがはびこっているからです。
偽クリスチャンは、神を主となど考えておらず、自分中心に宇宙を廻し、神すらも利用していますから、神が命令すると、「私に命令する神ならいらない」と言います。
今日の教会の律法嫌いは、この点に原因があります。
教会は、偽クリスチャンを集めるのをやめて、本当のクリスチャンに焦点を当てるべきです。
2004年4月12日
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