聖書法により人間は解放される
(1)
この国は、主権在民とは名ばかりで、実際は国の自己満足に終わっているようです。
復讐権があった江戸時代(時代劇で見る限りなのですが)のほうが、被害者や被害家族にとって「正義を感じられる」システムではなかったかと思います。
法律の基本、ひいては国を治める基本は、遵法者を尊び、違法者を罰することですから、今のように、遵法者が一方的に泣き寝入りしなければならないシステムは、根本的に間違っていると思います。
(2)
再建主義は、聖書に基づく国づくりを目指します。
聖書には、きちんと、国家が取ることができる税金の最高限度を10%未満と規定しています。
累進課税は共産主義の発案であり、国家に権力を集中させ、国民の力を相対的に奪って最後には独裁に持っていくシステムですから、著しく正義に反しています。
福祉国家は、聖書的ではありません。
初代教会の人々が持ち物を持ち寄ってそれを均等に分配したという記述が使徒行伝にありますが、あれは「自発的」なのです。
現在の税金による福祉という考え方は聖書にはありません。
現在の体制では、国民から福祉名目で金を集め、それが為政者の権力行使の道具になっています。
福祉国家は、独裁国家へのステップです。
民間でできることは、民間で、というのは、効率的に考えて当然です。
官僚には商売はできません。そのような職業ではないから。
だから、国や地方自治体が事業をやるとつぶれる。
最近東京都が作った銀行が早くも破綻している。
市場のさばきがなく、市場で負けても税金で赤字補填されるというような逃げ道を許される官営や特殊法人のシステムは少なければ少ないほど無駄遣いがへる。
みんな騙されている。
税金でみんなに分配すれば、貧しい人々にお金が行き渡るとかは、うそ。
聖書のように、福祉を個人と教会の義務にし、個人の収入の10%を福祉に回すことです。そうすれば、最貧困者でも、相当豊かになります。しかも、自分で福祉の対象者を選べるので、パチプロのヤクザなどがもらえなくなる。
「やもめでも本当のやもめを敬え」という原則です。
このシステムですと、個人には所得の最低でも80%が手元に残るので、非常に裕福になります。それをまるまる子孫に残すことができれば、子孫はそれを基礎に、さらに支配を拡大できる。
今の相続税のシステムですと、神に祝福された善人の財産も、国に吸い取られてしまいますが、このシステムですと、神に祝福された人の財産がその子孫に受け継がれますので、神に祝福された善人の子孫の力が拡大し、ひいては社会全体が善によって支配される。
逆に、国を経由すると、無駄なところに金が流れ、ずるいことをやって利権を獲得する人々が裕福になる。
道路建設でも、現在のように国がやると、利権がらみで高い建設費になる。
道路は、民間で団体を作って、業者を選別し、競争させれば、最低の予算で最高の品質の道路ができる。高速道路のパーキングエリアでも、業者を競争で選ぶから、高いものを買わなくてすむ。
聖書の原則を徹底すれば、人間は解放されるのです。
2008年3月13日
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