悪が栄えたためしはない


X-JapanのToshiが自己破産をしたそうだ。

ある宗教に金をもぎとられたからだという。

その新興宗教と手を切って目覚めた。

新興宗教に騙される人は、新興宗教の目的が金儲けにあることを知らないからだ。

いや知っていても、内部に引き込まれると幻惑が強くてずるずると金をむしりとられるのかもしれない。

自分がある宗教に入っていてそれが正しいかどうか判断に迷うなら、こう自問してほしい。

「その宗教に入って得をしたか損をしたか」。

「その教祖は、自分を利用していないか」。

もしイエスと答えが出たならば、すぐにやめたほうがいい。

それは腐れ縁である。腐れ縁を切る一番の方法は、絶縁宣言をして一切近づかないことだ。

むこうから執拗に謝罪や勧誘の手紙が来ても一切返事をしないこと。

正しい教えかどうかを見分ける唯一の方法は、それを伝えている人がどのような人かを調べることだ。

「良い木から悪い実は出ないし、悪い木から良い実は出ない」とイエスは言われた。

どのような実を結んでいるかによってその人を見分けること。

金の無心がひどくないか?

変なものを売りつけないか?

人には質素倹約を説きながら自分では豪勢な生活をしていないか。

自分を絶対化していないか?

迷信を押し付けないか?

その宗教にはまった人々がどのような行動を取っているか。

彼らは人を脅かしていないか。

邪悪な商売に手を染めていないか。

犯罪を犯していないか。

虚栄に走っていないか。

こういうチェックポイントに当てはまるなら、その教えは間違いだ。

「正しいこともいう」ではだめだ。

サタンでも道徳を説く。

サタンの常套手段は、90%正しいことを言って、10%嘘を混ぜることにある。

サタンやサタンに憑依された人々の特徴は、「最後に嘘を付け加える」というところにある。

彼らは騙しで終わらないと気が済まない。

どこかでごまかしを行わないと満足しない。

それが彼らの性なのだ。

正しい教えは、普遍性がある。

特定の立場の人々だけで通用するような誤謬に染まらない。

その教えを信じて、自分が変に社会と遊離するような教えは間違いだ。

だから私は無学や無教養ではだめだと思う。

きちんと自分が信じているものを説明できなければならない。

それが普遍的価値を持つことを示すことができなければならない。

科学や学問を毛嫌いするような教えは間違いだ。

今の福音派や聖霊派のキリスト教は神学を毛嫌いする傾向がある。

これはどこかおかしくなっているからにほかならない。

もし正しい教えであれば、神学的に説明できるはずだ。

できないのは、自説を押し通したいという邪念があるからだ。

私の50年の短い経験から分かることは、「おかしいなあ」と思うことは、必ずどこかで変なことをやりだす。

「この人おかしいなあ」とか「この会社おかしいことをやっているなあ」と思うならば、だいたい変な結果に終わる。

グッドウィルのような労働者からピンはねして不当に搾取している会社はすぐに寿命を迎える。

悪が栄えたためしはないのだ。

 

 

20010年1月25日

 

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