区別を保ちながら一体化することこそ被造物の目標である
性交は、礼拝行為である。それは、異なる実体が契約によって一体化することを象徴する。
これは、三位一体をも表す。三位一体とは、3人の神が、契約によって一つになることを意味する。
この宇宙の根源者は、一でもあり、同時に多でもある。
一も多もどちらも究極であり、一が多に優越することも、多が一に優越することもない。
だから、神の被造物である宇宙も、この「一と多(The One and the Many)」の原理に貫かれている。
プラスとマイナス、男と女、天と地、陰と陽・・・
この2つは、異なる実体であり、存在論的に多であるが、契約によって合体し、一となる。
神のご計画の究極的目標とは、このことにある。すなわち、被造世界全体が、互いに異なる実体でありながら、契約によって調和し、一つとなり、発展すること。
すべての契約は、それゆえ厳格に遵守されなければならない。
結婚契約は、男女が互いに対して誠実であることにより、一体化を維持し、発展させなければならない。
子供が生まれるのは、契約によって世界が繁栄し、発展することを表している。契約遵守は、多産を意味する。
どのような組織においても後継者不足、少子化は、その組織が契約を遵守していないことを示している。もちろん、環境的要因など例外はある。しかし、原則として、ある社会や組織が少子化、後継者不足で苦しんでいるなら、正しく契約を守っていないことに原因がある。
性病も、契約違反に対する神の裁きである。病気は、契約的調和からの逸脱である。戦争も、内乱も、その社会が病むことによって生じる。
保険契約であっても、双方は、契約を遵守することにより、一体化し、それによって双方に利益を得るようにすべきである。
汎神論は、聖書の契約思想からの堕落である。
すべてが互いに区別をなくして一体化すると。神も人間もない。男も女もない。存在論的な区別が消えてすべてが一つとなる。
聖書的に言うと、この考え方は、洪水である。
洪水とは、水によって一切の境目が消える現象である。
聖書的一体化とは、「違いを維持しながら、合体すること」である。
だから、女装やおかま、ホモ、両性具有、男性の長髪、男性の女性化は、洪水と同じであり、「境目の消滅」、「存在論的混沌」である。
聖書は、男は男らしく、女は女らしく、それぞれの特徴をはっきりと維持しながら、しかも一体化することを教えている。
進化論は、学問的洪水である。
種の違いを取り去る。
しかし、実験により、種の境目は想像以上にはっきりとしていることが明らかになっている。
ある種から他の種への移行は自然界においてきわめて起こりにくい。
聖書的な観点から言うと、種は互いの違いを明確化しながら、調和し、発展すべきである。
政治的な洪水とは、革命や暴動、内乱、戦争である。
契約的社会を維持できなくなるとこれらのことが起こる。
我々被造物の目標とは、互いの区別を明確に保ちながら、契約を結んで一体化し、発展することである。
2010年2月10日
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