家族経営は社会の基礎である
よく「本田宗一郎は立派だった。親族にあとを継がせなかったから。」と聞く。
たしかに、ホンダが株式会社である以上、公器の性格が強いから、会社の経営を自分の親族に継がせることが会社にとって不利益の場合、それは立派な行動だと言える。
しかし、「息子などに後を継がせる」という行為そのものを「利己的」と判断することは間違いである。
たとえば、小さな町工場を子供に継がせるのは何も悪いことではない。
神は、「家族の繁栄」を基本にして、御国を築き上げることを願っておられる。
それは、そもそも「地を従えよ」との命令はアダムとその妻であるエバに与えられたからである。
神は組織に統治権を与えたのではなく、いつも家族にそれをお与えになった。
だから、家族経営は、社会において土台となるべきである。
親が子供に財産を残し、それを元手に子供はさらに会社を大きくする。
こういったクリスチャンホームが増えない限り、この世界においてクリスチャンの影響力が増すことはない。
マルクスは、この世代後継のシステムを嫌った。
御国が発展することを嫌ったからである。
彼は、相続税と累進課税を導入し、財産を国の手に移す制度を生み出し、さらに、義務教育制度を通じて、「家族後継」を何か悪いものであるかのような倫理観を植え付けた。
財産を持つ家族を悪者に仕立て上げ、それを国や地方自治体に寄付したり、多額の税金を納付したりする人々を賞賛した。
この影響はクリスチャンにも及び、「子孫に美田を残さず」を実行する人々が教会において高く評価されている。
近代国家は、神が家族に与えられた統治権の横領を目指している。
それは、悪魔の創作であり、それゆえ、この体制を許可するならば、いつまでたっても御国は前進しない。
国は、家族による地上統治を助けるために存在する番犬である。
家族が作った会社や工場などが、強盗や他国の軍隊による略奪にあわないように防衛し、社会秩序を維持するのが国の務めである。
しかし、ヒューマニズムの理念が幅を利かせるようになってから、国は番犬の地位を捨てて、ボスの椅子に座り、命令をするようになった。
我々は御国の発展のために、家族の地位を回復すべきである。
家族経営が社会の基礎になるようシステム改革をすすめるべきである。
2006年7月26日
ツイート
ホーム