問題は文明の発達にある?
20世紀にヒューマニストとくに共産主義者は、科学の力で自然を征服することができるとして、大きな土木工事を行った。
しかし、このような工事は自然の秩序を大きく狂わせた。
中国でも北朝鮮でも、大規模な森林伐採が洪水を招いてきた。
日本における最近の洪水の多発も森林の管理不足が原因だという。
人工植林された林において、手入れが行き届いている林とそうでない林では雨水を蓄える能力に違いがあることが分かってきたと報道されていた。
育ちの悪い木の間伐が行われていて、十分な日光が地面に届く林には下草が生え、水を蓄える機能が高まるが、間伐が行われず密集している林では日光が地面に届かず、そのため下草が生えず、地面の表土が流出するという。表土が流出すると、小さな石の層ができて水を蓄えることができない。
聖書では、木材のむやみな伐採が禁止されている(申命記20・19)。
それと同時に、自然に手を入れて、管理することも命じられている(創世記1・18)。
進化論に立ち、「人間の登場により、自然が破壊されてきた。人間は自然にとって癌のような存在だ」という環境保護論者がいる。
これは間違っている。
自然は、そのままでは駄目なのである。人間が管理しなければ成り立たないのである。
あるオーストラリア人は、オーストラリア政府が自然林にこだわり、倒れた木を除去することを禁止する法律を作ったために、山火事がその樹木を通じて拡大したと述べていた。
人間の使命とは、自然を原初の状態に返すことでも、それをそのままの維持することでもない。
発展させることである。
公害問題が発生すると、自然環境保護論者が出てきて、「だから文明はだめなんだ」という。
そうじゃない。
文明とは、「地を従え」(創世記1・18)ることである。
「自然を統べ治めること」である。
まだ社会主義国の状態が明らかになっていなかったころ、一部の人々は「文明の発展のスピードの速いアメリカや日本は公害で悲惨な状態にあるが、共産圏の諸国ではそんな問題はない」と言っていた。
1990年代情報開示が進むと、共産圏の国々のほうが未処理の汚水の垂れ流しで、きわめて深刻な環境問題が起こっていることがわかった。
文明の発展には、環境汚染問題への取り組みも含まれるのである。
我々の目標は、この地球を原初の状態に逆戻りさせることにあるのではなく、それを管理し、発展させ、豊かで安全な自然環境を作ることにある。
2005年7月30日
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