(1)
健康以外の理由での、飲酒・喫煙の禁止は、禁欲主義という名の異端である。
神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。(1テモテ4・4)
すべてこの世界に存在するものは、神が創造され、人のために作られたものであり、本来良いものである。
アルコールであっても、タバコの葉っぱであっても、人間が用いるために与えられた神の創造である。
こういうものそのものを罪と見る見方は、聖書にはない。
それは、人を束縛することを喜ぶ悪霊の教えである。
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。(1テモテ4・1−3)
食物を断つ教えは「惑わす霊と悪霊の教え」である。
もし禁酒禁煙がクリスチャンにとってふさわしいというなら、イエスを偽り者にするのだ。
イエスは、水をぶどう酒に変えられた。
人に酒を勧められた。イエスは罪人なのか?
イエスは、律法を破られたのか?
そうしたら、聖書のすべての体系が崩壊する。イエスが罪人であれば、我々の罪を負うことも、我々に永遠の御国を与えることもできない。
我々は、迷信から解放されている。変なことに罪悪感を持つ必要はない。
人間が勝手に作った教えを破っても罪にならないから呪われることもない。
(2)
ある人は「御国に入るその日まで私たちをお守りください」と祈った。
今のクリスチャンの根本的な誤解がここに現れている。
我々は、御国にすでに入っているのである。
死んだ後に入る世界だけが御国ではない。
我々の周りは御国である。
ただし、それは「法的」御国である。「実際的」御国ではない。
実際的な御国は、キリストを王としてあらゆることが運営される世界である。
しかし、今の世界は、キリストを王とはしていない。
これは、アパートの所有権がすでに他人の移ったにもかかわらず、居座って出ていかない人々に似ている。
彼らはもはやアパートの正規の住民ではない。早晩追い出される。
ノンクリスチャンは、すべて「違法な占有者」である。
この世界はキリストのものになったのであるから、クリスチャンだけが「正規の占有者」である。
ノンクリスチャンは、もぐりであり、クリスチャンが今ノンクリスチャンに圧迫されているとしたら、「もぐりの業者によって市場を締め出されている正規の業者」のようなものだ。
我々は、今キリストの御国に暮らしている。
「御国はキリストの再臨の後にやってくる」というのは、間違いではないにしても、一面的である。
キリストは、「天においても地においても一切の権威を持った」と宣言された。
だから、天地はキリストの御国であり、我々クリスチャンが支配者である。
我々が正しい自意識を持たない限り、本来我々に与えられている力を発揮できない。
さあ、我々は自分を解放しなければならない。
今の間違ったキリスト教の「束縛する信仰」を打破しなければならない。