今回の暗殺事件を見て思うのは、共産革命である。
ベトナム戦争の背景には、南ベトナム政権の腐敗があった。
政府が腐敗すると、共産主義者がつけこむ。
「腐り切った資本主義を打倒せよ!革命を起こそう!」と。
暴力革命のような実力行使を防ぐには、社会は腐敗してはならないということだ。
今回の暗殺者も、義賊を装って自己顕示したという推測が出ている。
暴力に訴える野蛮な連中を活躍させないために、組織は内部浄化しなければならないと思う。
自分を裁くことがなければ、神は誰かを送って裁かれる。
ただ逆らうことだけを求める悪人には、残忍な使者が送られる。(箴言17・11)
人間は破局に陥る前に、何度か悔い改めを促す使者が送られる。
最初は、やさしい言葉で諌める人間が。
次に、少し厳しい言葉で諌める人間が。
そして、徐々にキツい言葉で叱責する人間が。
最後に、怒鳴りまくる人間が。
それでも言うことをきかないと、暴力で命を奪うような人間を送られる。
イスラエルの歴史は、このことを例証している。
イスラエルが紀元70年に滅亡する前に、神は多くの預言者を使わされた。
イエスの当時、イスラエルはローマの支配下にあった。
契約を守っていれば、イスラエルは他国の支配を受けるはずがなかった。
しかし、イスラエル人は、自分たちよりも格下の異邦人であるローマ人に使役され、殴打されていた(マタイ5・39、41)。
異民族に侮辱される状況は、滅亡の直前である。
イスラエルはこの時点で気づかねばならなかった。
しかし、彼らは「問題は我々に力がないためだ」と勘違いしていた。
つまり、環境決定論である。「武力」という環境を変えれば、問題は解決すると考えていた。
これは、力を信じるパワー宗教の考え方だ。
問題はそんなところにはなかった。
問題は、契約違反にあった。イスラエルは神の法を無視していた。
契約の規定を守らず、神の前に正しく歩まなかった。
罪を犯したアダムとエバのように、「この人が悪い」「神がこんな女を与えたから」と責任を環境に転嫁した。
軍事力を増強することによって問題を解決しようとする国家、民族的は、決定的なミスを犯している。
環境は何も変えない。
アメリカを見よ。ネオコンを見よ。
21世紀をアメリカの覇権の世紀にするために戦争を行って自滅しているではないか。
イラク戦争の前に「石油が手に入るから統治は可能だ」と言ったブッシュを見よ。
泥沼に入ったではないか。
神の前に正しく歩まない限り、問題は解決しないどころか、かえって深みにはまるのだ。
真の解決法は、倫理である。
正しさを求める以外に我々の問題は解決しない。
最近のクリスチャンの集会の賛美の騒々しさに違和感を覚える。
繰り返し、繰り返し、何度も何度も同じ曲を歌わせる。しかも、電気楽器でがんがんやるから、終わるとほとほと疲れる。
あれは「問題解決を賛美という環境に求めているから」である。
方法論が間違っている。
盛り上がることによっては何も解決しない。催眠術のような掛け声で倒れても何も解決しない。動物の鳴き声でほえても、何時間祈っても、異言で話しても無駄。
問題は、心の底からの悔い改めがないということにある。
悔い改めだけが、真の解決への道である。
今のキリスト教は、環境による救い、環境決定論だ。
教会成長学も同じ。
心の底から悔い改める必要がある。残忍な使者が送られる前に。