やる気を起こさせ社会不安を封じ込めるシステム
逆説的だが、いじめを助長しているのは、ほかでもない格差是正である。
「人間は平等に生まれてくる」という考えを植え付けられると、みんな同じ生活をしなければ気がすまなくなる。
だから、飛びぬけた人々への妬みやっかみが正当化され、いじめが公認される。
「人間は平等には生まれてこない」という当たり前の考えに戻ることだ。
社会に富などの偏差が強くあれば、子供達は格差があることを自然に受け止め、互いに違いを認め合うようになる。
神が創造した世界は、遺伝子による「先天的な運命決定」に強く左右される世界である。
つまり、人間は格差を背負うように運命付けられている。
自分の責任ではないものに左右されるように造られている。これが自然の現実だ。
容姿が優れた両親から器量のよい子供が生まれる確率は高い。スポーツ能力にたけた両親からスポーツの得意な子供が生まれる確率は高い。頭のよい両親から学力の優秀な子供が生まれる確率は高い。
そして、この遺伝は、人生全体を決定づける。
途中で変えられる部分は少ない。どんなにスター歌手になりたくても、容姿や才能の面でそれに達しないならばなれない。
人間は先天的な能力によって大きく支配される。
だから、我々は、あきらめる部分は早めにあきらめるべきだ。そのように造られていないならば、そのようなものになることを目指すべきではない。
努力とは、自分に与えられた「範囲」の中で成長することでしかない。シマウマとして生まれたら、シマウマとして成長することを考えるべきであって、ライオンになろうとしてはならない。
このように、自然の現実は、格差を前提として成立している。
だから、結果平等主義は間違いなのだ。
「人間は平等に造られている。みんな同じような生活をすべきだ」というのは間違い。
人間は不平等に造られており、生まれながらに格差がある、と認めたほうが気が楽だし、子供達も同じようにならなければならないという無用のプレッシャーから解放される。
今の税制は、この「平等主義」の弊害である。
国民の中に格差があってはならない、だから、金持ちからごっそり取り上げて、貧乏人に分配するべきだ、その分配役を国に委ねよう、という。
先日の漫才コンクールM1の優勝賞金1000万のうち500万は税金で取られるそうだ。
ばからしい。6000組の中から生き残って頂点に達しても公務員の年収の半分も取れない。
このような制度は、国民に対して暗に「飛びぬけるな。一人だけ優秀になるな。」というメッセージを発している。
社会主義の税制とは、「全員で豊かになる」のではなく、「全員で貧乏になる」税制である。
なぜならば、優秀な人間、努力する人間の足を引っ張るから。
国全体で互いの足をひっぱる社会が豊かになるはずがない。
「じゃあ、日本はどうしてこんなに豊かになったのか?」と聞くかもしれない。
「もっと豊かになれたはずなのだ。」
このような税制でなければ、もっと我々は豊かだったはずだ。
こんなひどいシステムの中で日本人はよくやってきた。
税率を10%未満にし、相続税、固定資産税を廃止し、資産を国民に返せ。
国民を豊かにせよ。国の機能を国防と警察と裁判所に限定し、国が国民の生活の面倒を見る体制を捨てよ。
「え〜、じゃあ餓死する人が増えるだろう」
聖書が命じるように「畑の実を全部収穫してはならない。10分の1を残し、落穂を残さねばならない」。
これは、企業や個人でも同じだ。勤労の実の10分の1を貧困者のために取り分けておく。コンビニで出た賞味期限切れの商品を貧困者のために残すことを義務づければ、絶対に餓死者はでない。
いいですか。収入のすべてを自分のふところに入れると、貧困者のなかに不満がつのり、革命が起きる。これが歴史が示すところだ。
結局、政情不安によって本来受け取れるものも受け取れなくなる。つまり、いずれ「自分がまいた種は刈り取らねばならなくなる」。
税金で約10%、社会福祉に10%、残り80%は自分の財産としてまるまる残る。自分が稼いだものをそっくり子孫に残すことができる。
これこそが、社会不安を引き起こさず、いじめを起こさず、国民にやる気を与え、人口も増え、国と国民が豊かになる方法だ。
今の社会主義税制を続けるならば、国はジリ貧になって滅亡する。
2008年1月12日
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