我々の世代は政教分離なる神話によって洗脳された世代である


今の福音派のブッシュ支持から、「宗教が政治に口を出すのはよくない」と考える人がいる。

そのような人に尋ねよう。

「宗教」とはいったい何か?

今の政治を司っている人々は、宗教とはまったく違った次元で行動する人々なのか?

では、なぜ「宗教」と意見が対立するようなことを行っているのか?

たとえば、妊娠中絶について、政治家は「宗教」とまったく意見を対立させることなく、「中立に」事を決定することができるのだろうか?

聖書的キリスト教は、「中絶は殺人である」という。

この立場を前にして、政府が「中絶を禁止するかどうかは宗教とは無関係ですから」と言えるだろうか?

このHPでこれまで何度も主張してきたが、再度言おう。

「法律は不可避的に宗教的である」と。

法律は、「何が善で、何が悪であるか」という倫理に根ざしているので、不可避的に宗教的なのだ。

それゆえ、政治家も法律家も不可避的に宗教人であり、宗教色を払拭した政治も裁判もありえない。

宗教は、社会の土台の土台を形作る「人間の最高関心事」である。

宗教とは、人間の生活のあらゆる部分を支配する基本であり、社会で言えばインフラにあたるものだ。

誰でも、何を行うにも、宗教的判断を下さねばならない。

「これを行うのは良いことか、それとも、悪いことか?」考えながら生活している。

だから、「宗教」と「政治」、「宗教」と「生活」、「宗教」と「教育」・・・といった区別の仕方はまったく間違っている。

どの分野も宗教から切り離すことはできない。

問題は、「政治か宗教か」ではなく、「政治かどの宗教か」である。

「日本の政治は、宗教に基づくべきかどうか?」ではなく、
「日本の政治は、どの宗教に基づくべきか?」が論点である。

現代の政治は、ヒューマニズムという名前の宗教に基づいて成り立っているが、この宗教が新しい時代に対応できないことが明らかになった。

ヒューマニズムは、法の源を人間に置く。つまり、人間は、世界において、その上に誰も権威を持たない存在であり、いかなる教典も参照せずに法律を作ることができる、と考える。

しかし、人間が最高権威であり、人間が定めた法律以上の法律(高等法)が存在しないならば、倫理は完全に相対化する。

つまり、殺人にしろ、援助交際にしろ、これは悪だ、と自信を持って言うことが誰もできなくなる。

なぜならば、何が善で何が悪であるかは、誰もが納得できる客観的な事実と証明できないから。

善悪など科学的に証明することは不可能である。

結局、善悪は主観に過ぎないということになる。

ここで、ヒューマニズムにおける政治とは、つきつめれば、主観の押し付けでしかないのである。誰も、「○○は善だ」「△△は悪だ」と断言できない。

だから、誰が政治家になるかによって、容易に恐ろしいことが起こりえる。

「ユダヤ人を絶滅することは善だ」と言ったヒトラー。「資本家を殲滅せよ」と言った共産主義者。

人間が被造物である以上、人間が最高権威になっている今の体制は間違いなのだ。

被造物は創造者の意見を絶対としなければならない。聖書という神の啓示に基づく以外に、正しい政治などありえない。

我々の世代は、政教分離なる神話によって洗脳された世代である。政治が中立だなどと教え込まれた世代である。

我々が正しい決断をするには、政治と宗教についてよ〜く考える必要がある。

 

 

2004年11月10日

 

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