党派心を持ち真理に従わない者には怒りと憤りが下る


<B様>
ハレルヤ これほど、今の聖霊派といわれる人たちを的確に論じてくれる方がいらっしゃいませんでした。ハレルヤです。
今御霊に従って行動している方がたが、実は自分という主権者を立てて、従っているのではないかと懸念していました。御霊に従うといわれれば、反論できません。御霊に従いながら世間の常識ある方がたとかけ離れた世界で生きています。万歳です。

<tomi>

宗教改革では、教育が尊ばれました。子供たちに信仰告白や教理問答書の暗記が課せられていました。

しかし、今日、聖霊を尊ぶと言われる人々だけではなく、福音派の集会でも「聖書の勉強なんかするな」「知識よりも賛美しなさい」という言葉をよく耳にします。

なぜ御言葉を嫌うのでしょうか?

それは、自分たちが主権者になりたいからなのです。聖書に基づいて作られたシステムではなく、自分たちが自分の頭で作ったシステムを維持することのほうを大切にしているので、聖書が邪魔になっているのです。

だから、私たちが聖書から論じようと言っても、土俵に上りません。

「勝手に作った自説を唱えるな」とか叱責してきますが、こちらが「じゃあ、勝手に作った自説かどうか、聖書から論じましょう」と言っても、まともな対応が返ってきません。

「主の御霊がこう語っておられるから」という理由を出す人も多いですね。

「tomiさん。あなたは間違っているのは明らかだ。主の御霊がそう語っている。」

主の御霊が本当にそう語っているかどうかどうして分かるのでしょうか。

もしその語っているのが御霊ならば、私に対して聖書からそれを証明できるはずです。

しかし、それをしない。

ただ断罪するだけです。あのサイトのBBSでもこんな断罪と一方的な決め付けしかなかった。

聖書から論じることもできないような勝手なことをやって、歴史的・正統的な教理を否定する人々には、怒りと憤りが下る。

「神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。」(ローマ2・6−8)

これからはこういった裁きは我々の回りで頻繁に目にするでしょう。

 

 

2005年10月31日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp