国に社会保障を求めるな


国が国民の生活の面倒を見る、保障するという社会は、全体主義の社会なのである。

全体主義の社会、例えば北朝鮮などは、国が父親代わりになって、国民のあらゆる生活に口を出し、保護し、面倒を見る。

チャウシェスクの妻は、突然の国民の謀反に驚いて「子供たちどうしたのですか?」と叫んだ。

全体主義の国において、国民は「子供」なのである。

今、日本の知識人が「国は国民の生活の保障をせよ!」と叫んでいるが、「生活の面倒を見る国家」というものの起源がどこにあるか知らないか、無視しているからである。

国家主義者の隠れた野心は常に「トータルコントロール」である。

国民をその生活の隅々まで徹底してコントロールすることである。

国は支配する代わりに、保護を与える。

このような父子的依存関係こそ全体主義者のねらいである。

「面倒を見てくれて、しかも、コントロールしない」などという国家はありえない。

「金は出すが口は出さない」などということを期待しているとすれば、愚か者と言わねばならない。

国が教育機関に金を出したら、そこに口も出すようになる。だから、国から補助金をもらっている大学は、教育の内容を国に支配されても文句は言えないのである。

もっとも、教育の内容への国家の介入を拒否するほど骨のある私学経営者はいなくなったように見えるが・・・。

国に社会保障を求める人は、社会の全体主義化を助長し、独裁者登場への道備えをしているのである。

彼らは、福祉国家の正体とその恐ろしさを知らないのである。

 

 

2006年10月18日

 

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