対人恐怖は偶像礼拝の結果である
<Q>
職場の人や通勤時の人の視線が気になります。
嘲笑されているように思えます。
<tomi>
サタンに心を許していますね。
あるときに、心の一部にサタンが入って巣を作ることを許してしまった。
サタンは思いのままに出入りでき、そこからコントロールしている。
その根城をつぶす必要があります。
「サタンに立ち向かえ。サタンはあなたがたから逃げ去るだろう」とあります。
私たちは絶対にサタンに勝利できる。
立ち向かうことです。
戦うことです。
勝利を信じて。
じゃないと、食われてしまいます。
絶対的な勝利は我々のほうにあります。
私のサイトで、最終段階にまで陥った鬱病の方が、完全治癒しました。
要はサタンに心を許したためにできた自分の心の中にある棲家を徹底してつぶすことです。
放射線で癌を退治するようなものです。
聖書は何と書いてありますか?
「人を恐れると罠に陥る。しかし、主を信頼する人は救われる」と。
人の視線とか嘲笑を恐れるというのは、人を恐れていること。
人を恐れることは、人を神以上の地位において崇拝していること。
だから、偶像崇拝なのです。
偶像礼拝すると、必ずサタンがやってきて巣を作ります。
回数を繰り返せば繰り返すほど、その巣は頑丈になり、大きくなります。
だんだんサタンが自分の思考回路を支配するようになり、恐怖によって完全支配されるようになる。
主を信頼し、主だけを恐れるという放射線を照射してください。
職場の周りが気になるなら、やめてもいい覚悟で堂々と自分の主張をすればいいじゃないですか。
それで離れていくような人間関係ならそれは不要な人間関係なのです。
神は必ず代わりの職場なり人間関係なりを与えてくださる。
クリスチャンは、車の中で生活するくらいの覚悟が必要です。
「すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」」(マタイ8・20)
2010年4月13日
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