実際に戦ってみたら分かることは多い。
実際に、我々を指導した世代の人々、牧師、伝道師と話をしてみなさい。
私の場合、ディスペンセーショナリズムの教会で洗礼を受けたこともあり、親族にディスペンセーショナリストが多いから、このシステムがどのような悪影響を及ぼすか知っている。
今日もこういわれた。
この世のことは、この世にまかせて、クリスチャンは信仰のことだけやっていればいいのだ。
この世のことをサタンに任せていれば、信仰だけやっていればいいとすらいえなくなるだろう。
サタンと戦わずに、彼らの策謀を許せば、彼らはキリスト教を破壊したいわけだから、警察を動かして信仰者を逮捕、投獄するだろう。
「この世において戦わなくてもいいのだ」というのは、サタンのささやき。
ある外国が、「日本は防衛などしなくていいのですよ。」といって、それに対して「そうですね。もう自衛隊なんか廃止します。」といったら馬鹿だろう。
ディスペンセーショナリズムとは、このような教えなのだ。
もうすぐ再臨です。再臨になれば、キリストが世界を統治してくださる。我々が今、この世を変えようとしてがんばっても、反キリストがすべて粉砕すると聖書にあるのだから、無駄なこと。我々はただ黙ってキリストがこられるのを待つしかない。
黙って待っているうちに、サタンは世界を征服し、そして、クリスチャンを迫害しはじめるだろう。
迫害が始まって、再臨と携挙を待っていたクリスチャンは「あれ、携挙がないぞ。どうなっているの?」と驚くだろう。
そのときはすでに遅い。
ディスペンセーショナリズムは、敵の騙し。
我々を縛って戦えなくさせるための洗脳である。
だから、私がこのように叫んでいる言葉を無視しないでほしい。