道なき道を進む


ある雑誌において死後の救いについての議論した。その際、「セカンドチャンス肯定論」に立っていたこの出版社は私に対する相手側の反論を掲載した時点で審議打ち切りにした。そのため、こちらに再反論の機会は奪われた。(しかし、その後も対論相手だけには発言機会を与えつづけた。)

この会社はプレ・ミレとポスト・ミレの対論の際にも同じ手を使ったのでもう呆れて相手にするのがバカらしくなった。

こんな手を使ってまで自分の身勝手な主張をしたいのか?

プレ・ミレもセカンド・チャンスもどちらも聖書から論証することは不可能である。

私は喧嘩することを好んでいるのではない。このことをこの出版社は理解していただきたい。私がプレ・ミレやセカンド・チャンスを主張する人々に言いたいのは、

「あなたがたが聖書に何も書いていないことを主張することによって、あなたのミニストリが無駄になるばかりか、教会に混乱を招き、異なる教えを侵入させることによって神からの祝福を奪うことになるのですよ」

ということである。

時々プレ・ミレやセカンド・チャンスやフルプレテリズム、進化論などを信じる人々から、「バカにするのか」とか「喧嘩したいのか」といわれるが、そんな無駄なことする余裕は私にはないです。そんな相手をこき下ろすことに時間を使うくらいなら、フルタイムでどこかの会社にでも入って仕事をしてまともな給料をもらい、生活を安定させることに使います。

インターネットで発表するのも同じ。自分の趣味でやってんじゃない。趣味でやるくらいならこんな活動やめます。

重要だからやっているんです。

プレ・ミレとかセカンド・チャンスとかフルプレテリズムとか進化論とかディスペンセーショナリズムとか、サタンが我々を騙すために送り込んだウソを暴いて、聖書の真理を回復することがどれだけ今日必要か、切実に感じているからやってるんです。

今日、これらの間違いについて悟っている人はごくわずかです。大部分の人々がウソに騙されている。約200年騙され続けてきた。

現代の洗脳を解く働きが、洗脳されている人々から見れば無駄に思えるのは当然のことで、それゆえ、アウトロー的に活動するしかない。既存の秩序の中に入れば追い出されるだけ。道なき道を進む以外にはない。

まあ、この活動が評価されるまでにはあと30年はかかるでしょう。
もしくは、死後昇天した後に、なんだそんなに貴重なことをやってたのか、と気付くでしょう。それまでは、もう文字通り枕するところもない状態の一歩手前を歩くしかない。

 

 

2004年4月24日

 

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