聖書の国家観 3


アメリカとは、国による個人の信仰に対する圧迫から逃れてきた人々によって建てられた国である。

それゆえ、アメリカの法体系には、「国家の干渉から個人の信仰を守る」というクリスチャンの視点が反映されている。

国が理念を持って国民を指導し、戦争に駆り立て、産業を育て、国力を増し、領土を広げていく、というのは本来まったくアメリカの主要なキリスト教の中にない思想なのである。

ブッシュ大統領と、彼のイラク戦争を支持するアメリカクリスチャン同盟の「十字軍的キリスト教」は異端である。

彼らは、軍事によってであっても、民主主義や西洋的価値観を他の文化圏に広げることはよいことだと信じている。

聖書的キリスト教は、国にこのような仕事を委ねていない。

国の役割とは、義の務め、つまり、警察と防衛である。

クリスチャンが神の国を建設するために、外敵から守り、犯罪者を罰して秩序を維持していくというのが国家の務めである。

他国に侵略して、そこで啓蒙活動を行うなど国がやるべき仕事ではない。

政府が目指している「小さな政府」が、聖書が教える極小政府にならない限り、我々は税金を役に立たないお節介な組織に注ぎ込み続けるだろう。

その結果、無用な施設や犠牲や戦争が続くだろう。

 

 

2005年9月6日

 

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