国家を神の座から引きずりおろすべきだ


福祉国家の本当の目的は、聖書的社会制度から、サタン的社会制度への移行にある。

聖書に基づく社会では、神が祝福の根源である。

貧困者、福祉を必要とする人々は、収入の十分の一によって養われる。

聖書において、勤労者は、畑の十分の一を刈り取ってはならなかった。また、畑の中に入って手で摘み取ることも許可しなければならなかった。

これによって、餓死者は根絶される。最低でも生存権は確保される。

ヒューマニストたちは、このシステムを国家にやらせようとした。

十分の一以上の税金を搾取し、それを国家の官僚たちに配分させる。

そこには、大きな不正と無駄が起きる。税金の配分が罪から解放されていない人間にゆだねられるので、政治家やヤクザ、官僚、利権企業などに過大に配分され、本当に必要な人々のもとに届かない。

これは、国家を神とする体制であり、この偶像体制のもとで矛盾が噴出する。

聖書的体制に戻さない限り、福祉という美名のもとでの搾取、無駄、不正は絶対に排除できない。

福祉国家を捨てよ。そうすれば、かえって貧困者は救われ、そして、我々は余計な税金を取られないので豊かになる。

国家が徴収できる税率は、10%未満である。

国家はこの額で運営しなければならない。

この額で運営できなければ、それは、どこかで無駄なこと、不正なことが行われているからにほかならない。

それでは、年金はどうするのか?

年金は個人の責任である。自分の老後のために、蓄えることだ。

社保庁の年金記録改ざんはおそらく、単なる職員の盗みだけではなく、大量のお金がどこかに移されたからだろう。

ODAも同じだ。ODAには政治家の手に還元されるシステムがある。

外国の権力者との間に癒着があり、取引がある。

政治家に、中国へのこびへつらいがあるのは、おそらく中国の権力者との間に、ODAに関して取引があるからだろう。

つまり、「これこれをODAとして渡すから、キックバックをお願いします」と。日中国交正常化などもこういった裏取引があったから成功したのだろう。

我々の税金はこういう形で溝に捨てられているだけではなく、国際的な不正を育てているのだ。

十分の一以上を取らせる税制とは、このように我々の財産の搾取以外の何ものでもない。

聖書にしたがって、国家の徴税範囲を限定せよ。国家を神の座から引きずりおろす以外に、我々は滅亡以外にはない。

 

 

2009年1月4日

 

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