本当の報いは子孫において受ける


短期的な結果を求めるというのは、罠である。

聖書は、「人間の取った行動は短期的に結果となる」と教えていない。

聖書が主張する因果応報の原理は、長期的である。

人間が取った行動の結果は、「長期的に」現れる。

一代で成功を求めてはならない。

「自分の代で金持ちになろう」としてはならない。

真の成功者になりたいならば、3代4代先を見るべきだ。

あなたが聖書に忠実で、神の国を求めるならば、あなたの代ではサタンの攻撃を受けてひどい苦難に陥るかもしれない。

しかし、あなたの3代、4代先は、幸せになる。

「自分が豊かにならないなら意味はない」というだろうか。

そんなエゴイスト、近視眼はクリスチャンではない。自分が救われているか疑うべきだ。

聖霊に支配されているならば、自分中心であるはずがないのだ。

聖霊に支配されているならば、自分の成功を自分の代で求めるはずがない。

我々は、この肉体から離れて本当のからだを与えられ、天から子孫の成功を目の当たりにする。

そのときに自分の労苦が報われたと考えることができる。

聖書の考え方は、契約的である。契約的であるということは、「相続的」であるということだ。

契約の第5条件は「相続」である。

神はアブラハムと「子孫について」約束を結ばれた。


さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。(創世記9・9)

アブラハムは、「あなたの子孫は星の数よりも増える」と約束され、満足した。

聖書の約束は、本人にとって幸せを約束するものではない。

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。(マタイ24・9)

結果を短期的に求めると、人間は悪事に走る。

「今、よい生活ができなければ意味はない。子孫なんて関係ない。」という人間は本当の馬鹿である。

本当の後悔とは、死後にやってくる。

死後ハデスに落ちた金持ちは叫んでこう言った。

父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。(ルカ16・27-29)

我々は、自分の子孫において結果を受ける。

その結果こそが、本当の報いである。

 

 

2009年4月20日

 

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