またまたイースターで
毎年、イースター付近で、苦難の出来事が起こってきたが、今回もそうだ。
翻訳の仕事をしたが、膨大な量なので、半分、依頼元の翻訳会社に頼んで他の人に回してもらった。ところが、その人が出してきた訳文が途方もない出来で、とても最終客先に提出できる代物ではない。
なにせ、表の中の数字が全部抜け落ちていて、訳抜けが無数に存在する。
なんとか数字くらいは埋めて一時的に提出したら、案の定最終客先からはねられた。つまり、あと数日以内に訂正なき場合は、受け取り拒否となる。
となれば、1ヶ月死ぬ思いをして仕事をしてきたのがパァだ。
毎日10時間は翻訳をし、レイアウトをした。そのため、視力が落ちてしまった。
大きな案件なので、普通は途中経過で指導が入り、こまごまとした指示が入るため、軌道修正がしやすいが、今回の客先は何の指示もない。一般的な感想を言うだけだ。
だから、最終段階になってダメ出しを出されても、その時はすでに時遅し。
今回は私にとって珍しいことだが、買い手も売り手も敵に回られた。
まず、客先が仕事をしている人間のことをまったく考えてくれない人であること。訂正を入れて、指導をしてくれなければ、いくら翻訳者と言えど、その業界のプロとはわけが違う。
その分野の知識は素人と同じだ。その素人にプロのレベルの結果を一挙に求めるというのはあまりにも酷ではないか???
また、売り手も敵に回った。
協力翻訳者が破壊的な翻訳をした。
これは、実に何かの負の力が働いたとしか考えられない。
これは、経験した人でなければ分からないだろうが、実際にクリスチャンになって戦っている人は、イースター前後に試練に会うことが多い。
この時期には、サタンには特別に許可が出るように思えてならない。
私は毎年この霊的な攻撃を受けてきた。
不思議なことだが、再建主義を信じているために、教会の長老会で裁かれた日は、受難日の金曜日の夜だった。日曜日に無罪が証明されて解放された。まさに復活だ。(私は、神学校の卒論を再建主義で書いて、それを牧師に提出し、面談でもこの立場を述べた上で奉職したので、反逆をしたわけではない。つまり、無実で裁判にかけられたということだ。)
ちょうど、33歳のとき。私は献身して牧師になったのが30歳の年で、裁判にかかったのが33歳の受難日であるから、イエス・キリストと同じ歳、同じ時期ということになる。
「わたしに従いたい人は、自分の十字架を背負い、そして私に従ってきなさい。」
2007年4月17日
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