国に福祉や教育を委ねることは自殺行為
年金納付に関する問題がまたも起きている。
年金制度はいずれ崩壊する。なぜだろう?
国が行うべきことではないから。
国が国民の福祉の面倒を見るという前提そのものが間違っているから。
こういった福祉国家の概念は、共産主義に起源をもつ。
社会主義の国は、人生まるごと面倒を見ようとするが、逆に無数の人の自由を奪い、収容所に送り、処刑した。
福祉をやろうとして、逆に人を不幸にした。
1930年代からアメリカすらも社会主義政策を取り出し、日本は戦後それをまねてきた。
福祉国家の歴史はまだ100年もたっていないのだ。
もうすでに多くの国々は、失敗した。ソ連や東欧の社会主義国は崩壊した。
この実験は100年もたたないうちに失敗したことが明らかになったのだ。
なぜ日本はまだこだわるのだろうか?
できないことをやっても無駄である。どんなに民間から人をひっぱってきても、社会保険庁などという社会主義の役所が失敗に終わるのはもうすでに定まっている運命だ。
クリスチャンでも、社会主義的な考え方をする人々がいる。いや、ほとんど全員がそうだ。
なぜならば、戦後の日本の教育は、社会主義の教育だったから。
常識がすべて狂っている。
国が福祉や教育に関与する本当の目的は何だろうか。
社会主義者が義務教育制度を熱心に唱える目的は何だろうか。
「神を追い出すこと」だ。
幼い子供の心に、無神論を植え付けるためだ。
国の教育とは、神が創造されたこの世界を人間が乗っ取るための主要な手段だ。
国家による教育の起源はプロシアにある。プロシアの教育は主にヘーゲル主義に支配されていた。
ヘーゲル主義とは、人間だけで成立し、神を除外した世界観である。
神が出てくるが、ヘーゲルの神は、聖書の神とはまったく別物である。
この反キリストの教育が、アメリカの教育学者によってアメリカに輸入された。アメリカ公教育の歴史を見れば、プロシアの影響は一目瞭然である。
戦後アメリカの支配を受けた日本の教育もこの影響を受けた。
ヘーゲル主義者モリスの弟子デューイの学説は、日本の子供たちを集団主義者に変えた。日本において、登校拒否児童があたかも人間失格者であるかのように扱われているのは、デューイの神話の影響である。
国は宗教的に無色透明な存在ではない。
それゆえ、国に福祉だの教育だのを委ねることは、クリスチャンにとって自殺行為である。
2006年5月27日
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