ワンネス神学と正統的三位一体論の違い2


>  聖霊の満たしはただ主イエスの中だけにある。
>  ぶどうの木である主(イエス)から絶えず流れ出てくる命の樹液を受けるためには、イエスに対する単純な信仰をもって受け続ける必要がある。
>  聖霊のバプテスマは、イエスに対する信仰によって得られる。・・・・
>
> マーレーは御霊の内住、御子の内住、神の満たしにまで満たされること・・・・・・ここから三位一体の神が私たちの内にいると言っていると同じことですよね。 

イエスは、御霊において我々に内住されるということであって、イエスご自身は体をお持ちなのですから、我々に内住されるはずがありません。そのように記されている個所は一箇所も聖書にありません。

御霊とイエスは契約的に一体ですから、御霊が我々のうちに内住されているならば、イエスも父も我々のうちに内住されると「契約的に」言えるかもしれませんが、御子は天において父の右に座しておられるとはっきり聖書に書いてあるのですから、我々のうちに「存在論的に(または実際に)」内住されるというのはおかしなことだと思います。

 

 

2006年4月4日

 

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