世俗思想にだまされて法を失い勢力を失った教会を回復するには?3


心理学の基本には、法への嫌悪があると思います。
法を無視していないよ、と言いながら、実質的に法を捨てたいために心理学に走る伝道者が多くなってきました。
私の友人の牧師たちも、同じでした。

彼らは、法を捨てて、恵みだけを受け取るように勧める「福音」を語っているのですが、法を否定しているので、救われた後でどのような生き方をすればよいか信徒を教えることができず、行き詰まって、ついに心理学に走りました。

本来なら、契約と法に帰るべきなのですが。
今のキリスト教は、契約と法に対する嫌悪があるために、代替物として、心理学に走るのです。

いびつな心理カウンセリングは、相手に悔い改めを求めません。
悔い改めなければ、聖書が規定するように、「狂う」ということなのです。
発狂は、契約的呪いの一つです。

「主はあなたを打って気を狂わせ、盲目にし、気を錯乱させる。」(申命記28・28)

心理カウンセリングの中心は、

(1)自分の本質的な罪を悔い改め、それをやめる――自分と神との関係を直視する
(2)御言葉を信じ、肯定的な思考習慣を身に付ける――ネガティブスパイラルから脱却する
(3)キリストにあって自分は王であり、勝利者だと確信し、行動する――内省をやめて、外に向かって働きかける

にあると思います。

今流行の心理ブームにおける、「悔い改めなし」のカウンセリングでは治るものも治りません。

人々がなかなか聖書的な解決法に帰らないのは、まだサタンが提供したおいしいごちそうに食らいついているからです。

このような時代もいずれ限界がくるでしょう。

 

 

2006年3月12日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp