ディスペンセーショナリズムではホームスクーリングはつぶれる


> たしかに、日本人は、世界レベルで見れば、誠実な国
> 民だとおもいます。全く同感です。日本人の職業倫理
> は他国民の追従を許しません。それでなければ、世界
> 企業が次々に日本で起こされるはずがなかったので
> す。 
>
> しかし、同時に、最近の日本人が著しく劣化していま
> す。と同時に、ゆとり教育から、昔の詰め込み教育に
> 回帰しても、世界の状況に対応出来る日本人は養成さ
> れません。
>
> ホームスクールは、新しいことができるはずなのに、
> 多くのホームスクーラーは、単に、公立学校でなされ
> ていることに---言い換えれば--ノンクリスチャンの
> やっていることに、えっちら、おっちら追従している
> だけです。そういうわけで、キリスト教世界観にたつ
> 目的論も方法論も確立することができない日本のホー
> ムスクーリング運動は頓挫しつつあると私は見ていま
> す。
> もちろん、ホームスクーラーが育まれる、教会も存在
> しません。
>
>
> 明治の初期のような、日本人がいません。わずかに、
> 副島隆彦、大前研一といった人々が私塾を開いて、若
> い人々を養成しているのがせめてものなぐさめです。
> しかし、しょせん彼らは不信者です。
>
> ほんとうはクリスチャンがそのような私塾を開いて未
> 来のために働くべきであるのに、そのような動きはほ
> とんど見られません。 それどころか、クリスチャン
> は日本の社会において、もっともナイーブな、何も考
> えない人々となってしまっています。
>
> tomiさんの働きは貴重であると認識しています。 そ
> ろそろ、若い人々を集めて、キリスト塾のような、私
> 塾を開くべきときが来ているのでしょうか。おそらく
> は、江戸末期から明治初期に存在した、私塾のような
> 形態が最もいまの日本に必要と考えますが、それも、
> もうすでに手遅れの様相を呈しているように見えてな
> りません。 
>
> それにしても、今の教会もクリスチャンも(とくに若
> い人々が)あまりに幼稚であり、キリスト教会全体が
> 手が付けられないほどの閉塞状況にあるのは、嘆かわ
> しいことです。
>
> まともなことを言えば、すぐ追い出しにかかるのが昨
> 今の、キリスト教会ですから。


ホームスクーリングは、意識的に我々を避けてきました。
その報いが来ているのだと思います。

私は、I氏や吉井氏に対して、「ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレを捨てない限り、ホームスクーリングには意味がなくなる」と警告してきました。

しかし、日本のホームスクーリングの主導者は、ただアメリカの流行に乗るだけで何も自立した考えがなく、問題意識に欠如していました。

戦後のクリスチャン全体が、「愚民化政策」の犠牲者でした。

キリスト教会が幼稚で、世間知らずで、現実を乗り切る強さを持たず、ただ長いものに巻かれるというような虚弱な体質になったのは、もっぱら「教え(ディスペンセーショナリズム)が間違っていた」ということ以外ではない。

まともなノンクリスチャンは、今のディスペンセーショナリズムによって骨を抜かれた教会の仲間にはなろうとしないでしょう。

ディスペンセーショナリズムは「厭世思想」「隠遁思想」なんです。

厭世思想や隠遁思想などまともなビジネスマンが信じますか?

仙人になることを勧める思想などまともなビジネスマンが信じますか?

この異端思想によって教会は骨の髄まで腐った。今必要なのは、以下の実践だと思います。

(1)地を従えよとの命令の、教会による再確認
(2)地を従える人間を育てるための家庭教育の実践
(3)地を従える社会人・学者・ビジネスマンを育てるための学校教育の実践

私は自分の使命と賜物を考えるときに、情報を提供するという働きに召されたと考えています。

私が資料を提供することが重要であると考えているのは、人間は入ってくる情報によって変わるからです。

戦後の日本が経済成長したのは、戦前の厳しくも誇りを与える教育を受けた人々に牽引されたからです。

戦後生まれの人間が増えてくると、戦後の「植民地の人間に対する愚民化教育」がいったい何だったのかということが見えてきました。

敵は、日本人というものの潜在能力を知っている。だから、教育をつぶそうと考えた。

植民地の人々に対してまず行うのは、武装解除です。

その次は、二度と反抗できないように、「骨抜きの人間を作る」教育を徹底させること。

教育とマスコミによって日本は独立国の人間にあるまじきメンタリティを植え付けられた。

クリスチャンの場合は、二重の攻撃を受けた。「ディスペンセーショナリズム」と「植民地教育」という。

情報は非常に大切です。

情報を得ることによって、我々がどのような意図のもとに操作されてきたのかということが分かる。つまり、サタンの策略を知る。

それによって有効な対策を講じることができます。

そういう意味で、第一歩は、情報の提供にあるのではないかと思います。

 

 

2009年2月14日

 

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