大艱難はすでに終わった!


プレ・ミレは「大艱難は近い。備えをする必要がある。」となんと200年近くも言いつづけてきた。

日本でいえば江戸時代から「終末は近い!」と叫びつづけてきたこの狼少年の教えをそろそろ追い出すべき時ではないだろうか。

聖書に基づいてこのようなことを言っているならクリスチャンは受け入れることもできようが、聖書はこのようなことを「何も!」言っていないのである。

むしろ、イエスは「大患難は30-33年以内に起こる」と証言されたのだ。この御言葉からどうしてそれを2000年後の我々の時代に適用できるだろう。

実際の歴史を見ても、大患難がすでに起こったことであることは明らかである。

イエスがBC4年にお生まれになり、30歳で伝道活動をはじめて3年半後に十字架につかれたとすると、紀元60年から63年までにマタイ24章の「前兆」は起こるはずである。

石田友雄氏の『ユダヤ教史』(山川出版)223ページはこのころの事情をこのように説明しておられる。


アグリッパ王が死んでから66年に大反乱が勃発するまで22年間、次々と着任した7人のローマ人総督は全員、私服を肥やすために法を踏みにじり、ユダヤ人の宗教的誇りを傷つけ、反抗する者は容赦なく弾圧することに終始した。これに対抗して、民衆の指示を受けた熱心党のゲリラ活動が激化したため、社会の秩序と治安は急速に失われ、ユダヤは無政府状態に陥った。

それでも、反乱前最後の総督フロルス(在職64−66)が着任するまでは、大祭司、パリサイ派の指導者、アグリッパ2世など、穏健派の有力者たちが民衆をなだめて、ローマ帝国に対する決定的反乱を回避してきた。しかし、66年にエルサレム神殿の宝庫からフロルスが金を盗んだことに端を発して起こった争乱を、穏健派はもはや制止することができなかった。

熱心党の指導の下に決起したエルサレム市民がフロルスを追い払い、エルサレムのローマ守備隊を撃破すると、大祭司の子、エレアザル・ベン・ハナニヤの提案に従い、それまでエルサレム神殿でささげられてきたローマ皇帝の健康を祈願する犠牲が中止された。

明白な反乱宣言に驚いた穏健派は武力による過激派の制圧を試みたが、かえって闘争に敗れ、過激派のエルサレム支配が確立した。しかも過激派は、エルサレムの反乱を鎮圧に来たシリア総督を撃退しただけではなく、撤退するローマ軍をベトホロンの隘路で攻撃して敗走させた。この大勝利を見て、それまで反乱参加をためらっていた人々も決心した。こうして、全ユダヤ人共同体がローマ帝国に対する反乱に突入した。

紀元60年から63年が、66年に大反乱が勃発する直前の時期であり、まさにマタイ24章で描かれた「戦争と戦争のうわさを聞く」状況だったことがよく分かる。

大患難を未来だとする見解に聖書的証拠はまるでない。聖書から論証できないことを主張することは、神の言葉に細工を加えることであるから、それ以上ない大罪である。

最近流行の解釈は、「マタイ24章のイエスの予言は、紀元70年頃と終末の状況を二重に見ているのである」というが、「これらのことはこのゲネア(30-33年)のうちに起こる」というイエスの御言葉の完全な無視であるから拒絶すべきである。

 

 

2004年4月26日

 

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