苦しみや痛みは必要である


我々は、この世界から痛みがなくなればどんなによいことだろうと思うかもしれない。

しかし、痛みがなくなると、我々は徹底して堕落する。我々が堕落せずに正常な道徳を保っていけるのは、痛みがあるおかげである。道徳から外れた生活を送れば、人間に痛みがやってくるのは、神の恩寵である。

泥棒や殺人者や異常者がいなくなればどんなによいだろう、と思うかもしれない。

しかし、犯罪者がいなくなれば、我々はだらける。極楽トンボのようになり、我々はどんどんダメになっていく。

この世から不幸がなくなればどんなによいだろうと思うかもしれない。

しかし、不幸がなくなれば、我々は幸せを感謝できなくなる。恩知らずになり、神に悪態をつくようになるだろう。我々を謙遜にしているのは、不幸な出来事である。

この世界は、幸と不幸、快と苦、遵法と犯罪の間でバランスを取り合いながら動いている。

神はもともとこの地球を有害細菌だらけに造られた。

そして、我々に痛みの感覚を与えられた。

なぜならば、傲慢や怠惰や不遜の罪に陥らないためだ。

宗教的世界に人々が目覚めないのは、宗教的な事柄は苦悩の中でしか理解できないからだ。

聖書には、苦しまなければ分からないことが無数に含まれている。

真理を理解する上でも苦しみは善である。

苦しみも、悲しみも、痛みも、この世に存在するすべては、神の配慮のもとで存在するのであり、それゆえ無駄ではない。

 

 

2008年1月10日

 

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