マスコミや文化人は大衆を相手にするな
大衆が金を払うことによってマスコミは成立するので「相手にするな」というと、自殺を勧めているのかと受け取られそうだ。
違う。
大衆を扱う業界は、常に「大衆に受ける」という誘惑と戦わねばならない。戦うことができなければそんな業界にいる資格がない。
知識人、文化人は、大衆を指導しなければならない。
なぜならば、大衆は「指導されるべき」だから。
大衆に受けることを狙うことは、「大衆に指導される」ということを意味する。
本来指導者でない者に指導されるとどうなるか。
堕落するか、迷うのだ。
今の政治家がTVやイメージを気にするのは、この罠にまんまとはまったからだ。
「大衆に指導されることを選んだ指導者」になった政治家は、大衆から捨てられた。
「指導者でない者を指導者として仰いだ」という時点で、政治家の資格がないことを暴露した。
なぜ高等教育が必要なのか?
初等・中等教育を受けた人々よりもすぐれた意見を提示し、すぐれた道を示し、リードするためだ。
大学を出る意味は、大卒ではない人々を指導するためだ。
大学を出た人々が、高卒や中卒の人々に指導されたらどうなるのか?
大学に行った意味がなくなるのだ。
大衆は文化を創れない。
大衆は指導を必要としている。
文化と呼べるものは、まずそれぞれの道の高等教育を受けた人々が、「大衆を指導するために」高い理想を求めて、努力する中で生まれる。
そういう質の高い努力が次第に下のほうに浸透していって大衆も文化の恩恵によくすることができるようになる。
クリスチャンは、エデンの園である。
エデンの園は、他の場所よりも高い位置にあり、四方にむかって川が流れている。
クリスチャンは、文化の中心であり、文化の発信源である。
文化はクリスチャンから生まれる。
クリスチャンが大衆文化に合わせたら、なぜ高いところに置かれたか意味がなくなってしまう。
フラー神学校のコンテクスチュアライゼーション(文化脈化)なる教えによって、教会が世に指導されるようになった。
今の教会の堕落はこういう偽の教えによって騙されたことに起因する。
2010年4月17日
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