無国籍にも悪霊崇拝にも陥らない第3の道とは?
(1)
日本人にとって非常に残念なことは、自国のアイデンティティが多神教にあることである。
自分をアメリカや国連などを軸とした国際体制の中に組み入れ、実質的に「無国籍化」を唱える「進歩的」思想に対して、民族の独立と自国の独自の文化の尊重を唱える人々が寄り頼むのが、神と人間の明確に区別しない「多神教」の神々を崇拝する現在の神道であるというところにある。
小泉さんは靖国参拝は「戦没者に心からの追悼の誠を捧げることがなぜいけないのか、理解できない」というが、心有る靖国参拝反対の人々が反対しているのは、「戦没者に心からの追悼の誠を捧げること」ではなく、「特定の宗教儀式に公人が参加すること」なのである。
私は現行憲法の「政教分離」は原理的に矛盾をかかえている欠陥規定だと思うが、しかし、だからといってそれを無視してもよいとは考えない。
なぜならば、この国は「立憲主義」の国だからだ。いかに欠陥がある憲法であっても、それを尊重し、「文字にこだわる」という姿勢がなければ、憲法がどんどん空文化する恐れがある。
靖国参拝したいなら、まず憲法を変えて、政教分離の条項を削除しなさい。
国の代表が憲法を軽視してよいのか!!!
聖書は、明確に偶像礼拝を禁止している。
靖国神社は、人間をまつっているので、靖国神社で参拝することは、人間を拝むことになり、明らかに偶像礼拝である。
偶像礼拝はすべて悪霊崇拝である。
「私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。 いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。 あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。」(1コリント10・19-21)
靖国神社に参拝することは、悪霊と交わることであり、自分が悪霊化するということである。
意固地に何度も何度も崇拝していると、ついには完全に悪霊に憑依されて、気が狂ったようにわけのわからないことをやりだすだろう。
戦前の日本で、クリスチャン文部大臣森有礼が暗殺された後、天皇教を国教としてから、どうなったか?
バカな戦争を始めて、ついには破局してしまった。
日本人は、悪霊を崇拝することの恐ろしさをまだ理解していない。
日本の思潮が左翼から脱却しようとするときに、すぐに現れるのが、「幼児的自己愛に基づくいびつな愛国心と偶像礼拝」の右翼的体制である。
日本には「健全な中庸」がない。
まともな良識ある人々は、左も右も好まない。
今政治をやっている人々が右か左の極端に堕落してしまったため、これらの「サイレント・マジョリティ」は、投票行動そのものに意味を見出すことができないでいるのだ。
(2)
本来ならば、オピニオンリーダーになるべきクリスチャンは、「天皇制反対」の左の極端にいるから影響力がない。
我々を指導した牧師たちは、「日本伝道における根本的な問題は天皇制にある」と述べてきた。
もし天皇制に問題があるなら、天皇制を廃止すれば問題は解決するはずだ。しかし、天皇制を廃止して、共和制になっても、日本においてキリスト教がさかんになる保証はまったくない。
私は、今の日本のキリスト教の「体制を変えればなんとかなる」という考え方はマルクスの革命思想に似ていると思う。
歴史をひもとけば分かるように、キリスト教の伝道の進展と政治体制、宗教体制はまったく関係がない。キリスト教は多くの場合、王制のもとで発展した。
「いや、天皇制は王制と異なって、霊的なものだから。天皇は祭司として日本に君臨しているから。」というだろうか?
キリスト教が発展し、ついに国教になったローマ帝国では、ローマ皇帝は神であった。人々は皇帝崇拝を強制された。
違う!天皇制をつぶせばよいのではない。神が望んでおられるのは、「上に立つ人々を敬う」ということだ。
天皇を敬い、天皇がクリスチャンになるように祈ることである。
クリスチャンは革命家ではない。現行の制度を尊重し、その中において合法的に活動する中で、影響力を増していくという方法を取るべきである。
天皇制に反対し、日本の固有の文化を軽視するような姿勢を続けていても、解決はない。
(3)
私は、今の状態では、日本も、日本のキリスト教も行く手をふさがれてどうしようもなくなってしまうと考える。
アイデンティティを失わず、しかも、悪霊崇拝にも戻らない体制に必要なのは、神道に対する再考察である。
神道は本当に多神教なのか?
神道の元締めである八咫烏や、神道の中心的な神社である籠神社の神主が言うように、それは一神教なのだ。しかも、「三つの神が一つである」とされる非常にキリスト教の三位一体に似た神である。
私は、神道を作り上げた秦氏についてもっともっと研究を進めるべきだと考える。
他の民族にも見られるが、古代中国においても、苗字に出身地が含まれるという命名法があった。
「安」という苗字の人は「安息国(パルティア)」から来た人々であり、「竺」は天竺=インド、「康」は康国(サマルカンド)の出身。
では「秦」は? おそらく「大秦(ローマ)」だろう。
渡来人秦氏は、中国においても渡来人だったのではないだろうか。
秦始皇帝を祭神とし、「牛祭」という奇祭を行う「大酒神社」は、もともと「大辟」と書いていた。佐伯好郎博士によれば、これは「ダビデ」と読んだ。ダビデを大闢と書いた例はあるそうで、この「闢」が「辟」と略記されたのではないかという。
ここから佐伯博士は、秦氏をネストリウス派のキリスト教徒と考えたが、秦氏ゆかりの神社に三本鳥居があるように、秦氏は三位一体信仰を持つ部族だったのではないだろうか。
日本の伝統の基本がキリスト教であるということが分かれば、日本人は多神教に帰る必要はなくなる。
神は日本人のルーツ探しにこのような決着を与えようとしておられるのかもしれない。
2005年5月19日
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