永遠の地獄か、永遠の祝福か


保険をかけないで車を運転する人がいるだろうか。

事故を起こしたら大変だ。人身事故の場合、1億の賠償になるかもしれない。

そうしたらどうする?

クリスチャンにならないということは、無保険で車を運転するのと同じことだ。

死んで、何の保証もないから、自分で罪の弁償をしなければならなくなる。

逃げることもできない。

永遠に地獄の業火に苦しむことになる。

クリスチャンは、キリストの群れに属することによって、保険をかけたのだ。

自分の代わりにキリストが十字架上で払ってくださった。

この保険には、さらにすごい特典がある。

それは、永遠のいのちと祝福だ。

誰でもキリストを信じるなら、永遠のいのちが与えられ、永遠に祝福され続ける。

「え〜、そんな死後の世界なんてないから信じない」という人がいるかもしれない。

死後の世界がないなんてどうして分かるのでしょうか。

誰も死後の世界がどうなるかなんて分からない。

科学はそういうことを証明できない。

あるにしてもないにしても、どうやってデータを集めるのか。どうやって実験するのか。

だから、死ぬことはすべての人にとって大きな賭けなのだ。

死んでから「あ〜、死後の世界があったのか」と気づいても遅い。

クリスチャンの場合、正確に言うと、「死なない」。

イエスは、「私を信じる者は死を見ることがない」といわれた。

我々にとって死とは、この血肉の体を離れて新しい体に切り替わることでしかない。

その体で永遠に生きる。この体は、朽ちない体である。


血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。(1コリント15・45-50)

血肉ではない、御霊に属する体。

この永遠の体によって、永遠に生き続ける。

さあ、賭け事で、2つの可能性がある。可能性は、フィフティフィフティだ。

どちらにかける。

永遠の地獄か、永遠の祝福か。

 

 

2009年12月5日

 

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