聖書的な教育だけが世界を回復できる


結婚は契約行為である。

二人の人が一つの実体になる。夫婦は、法的に一人の人である。

この契約的団結は、世界の基礎である。

世界を神の支配のもとに服させるべく選ばれたアダムとエバは、この結婚の絆によって一人の人としてこの世界をエデンの園に変えるために働かねばならなかった。

しかし、エバが契約を捨てて、サタンの言いなりになって罪を犯し、それに伴ってアダムも神との契約を捨てたことにより、被造世界に亀裂が生じた。

契約による神とアダムとエバの三位一体に亀裂が生じた。

このことは、神の三位一体と、被造物が敵対関係に入ったことを意味した。

神ご自身は、三位が完全な契約関係によって団結されている。その間にはいかなる亀裂もない。

しかし、人間と人間、人間と被造物の間には亀裂が生じた。

本来、世界のエデンの園化は、強固に団結した夫婦と被造物の一体的な関係のもとで進展するはずだった。

しかし、アダムとエバの間に亀裂が生じ、被造世界との間にも亀裂が生じたことにより、世界全体が不調和に陥った。

罪とは、被造世界に不調和を持ち込むことを意味する。

だから、神は不調和を起こす人間を処罰する。

調和を乱す者を罰して、場合によってはこの地上から消し去る。

ノアの洪水は、この不調和が極限にまで至ったために起こった。

だから、結婚関係は、この世界の調和の基礎なのである。

それゆえ、姦淫罪は、世界の根本的な罪である。

ヒューマニズムにおいて、このような世界観がないから姦淫罪は微罪、もしくは、賛美の対象である。

神と無関係に成立する世界観を築いた近代哲学において、姦淫罪にはいかなる重大性もない。

しかし、神の世界において、姦淫罪は、世界をバラバラにし、地獄と変える第一歩である。

それゆえ、姦淫罪に対する神の刑罰は厳しい。

ポルノはサタンがこの世界をバラバラにするために投入した大きな起爆剤である。それは、トロイの木馬だ。

じわじわと社会に浸透し、社会を根底から崩壊させる。

結婚、及び性交渉は、契約を象徴する。

だから、それは、血によって成り立つ。

結婚前の姦淫を疑った夫に対して、妻の父親は、初夜の際に流れた血のついた敷布を提示しなければならない。

それによって、妻の潔白が証明された。

結婚は、血の契約なのだ。

男性は、割礼を受けて血を流す。血を流した男性器を持つ男性だけが、夫となることができた。

割礼は、神の契約の中にいることを証明する血のしるしだ。

血を流した男性器だけが女性は受け入れることができる。

このことによって、神の契約による団結が証明される。

女性は、初夜における出血により神の契約にあることを証明する。

つまり、神と血の契約を結んだ男性と、神と血の契約を結んだ女性だけが、夫婦契約の中に入る。

これにより、神と男性と女性の三位一体が形成される。

血による団結を基礎として、神のもとにある夫婦が形成され、この夫婦は、世界の開拓に乗り出す。

この強固な契約を世界に拡大すること以外に世界のエデンの園化はありえない。

だから、我々のポルノの文化はいかに崩壊しているかがわかる。

結婚しなくてもいいと考える男女が約80%を占めると調査で明らかになった。

ヒューマニズムというサタンの教育によって、世界は崩壊寸前にある。

あらゆる絆がずたずたにされた。

聖書的な教育が回復されない限り、この世界はバラバラにされ、サタンのもくろみが成就するだろう。

 

 

2009年12月8日

 

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