クリスチャンは神と被造物を結び合わせる仲介者である


結婚は、世界の基本的な構造を象徴するきわめて重要な象徴である。

夫と妻は結婚によって一つの心、一つの体になる。一つの体になると、子供が生まれる。

神と被造物も同じである。神と被造物が調和し、一体化することによって、被造物は繁栄する。

アダムにおいて神と被造物の調和は崩れた。そのために、地はのろわれ、不毛になった。

「また、アダムに仰せられた。『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。』」(創世記3・17)

太陽から光が地に注ぐことによって、地は緑にあふれる。光合成は、神と被造物の合一による繁栄を象徴する。

キリストと教会は夫婦である。教会がキリストに忠実な時に、多くの実を結ぶ。

「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15・4−5)

この「実」とは単に「伝道の実」、つまり、「人をクリスチャンにすること」だけではない。

クリスチャンが被造物に働きかけることによって、その被造物が「神のために存在するという、本来の意味を回復し、復活する」のである。

たとえば、神をのろうような芸術をやっていた人がクリスチャンになることによって、その芸術が神の栄光を表し、神のために役立つようになり、「実」を結ぶ。

クリスチャンは、被造物に働きかけることによって、被造物を復活させる働き人なのである。

だから、被造物はクリスチャンの登場を待っている。

「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。」(ローマ8・19)

クリスチャンが現れると、それぞれの領域において、被造物を神と和解させる。

これは、神と被造物の結婚である。

だから、被造物が神に従って生き始める時に、そこから豊かな実が生じる。

逆に、被造物が神に逆らう時に、不毛が広がる。

ソ連が公的に神を攻撃するようになり、文化全体から神を追い出し、キリスト教を迫害し、ついに、滅んでしまった。

神からの離反は、ある意味で離婚である。

離婚し、別居した夫婦から子供が生まれるはずがない。

クリスチャンは、神と被造物を結び合わせる仲人である。

いや正確に言えば、もともと神と被造物は結婚していたのだから、「よりを戻させる仲介人」である。

神の民であったイスラエルは、この仲介人の働きを担っていた。

だから、イスラエルの象徴は、ダビデの星である。

上向きの三角形と下向きの三角形が交わっている図であり、これは、契約当事者の合一を表す。

天と地、男と女、キリストと教会、神と被造物、…

2つのものが一体となり、実を結ぶことを象徴している。

我々クリスチャンは、神と被造物を結び合わせるために十字架上で死なれたイエス・キリストのみ業を被造物に対して具体的に適用することによって、神と被造物を結び合わせ、豊かな実を生じさせるために働く。

そのため、ダビデの星はクリスチャンをも象徴しているのである。

 

 

2005年3月27日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp