教理を聖書から作り上げよう
聖書に記されている記事への疑いは、聖書教理への疑いを生じさせた。
今キリスト教界が、聖書から離れて教えが混乱・錯綜しているのは、聖書を文字通り信じられなくなったからだ。
その最大の要素は、進化論だ。進化論が登場して、生物の歴史が非常に古いと考えられるようになってから聖書への疑いが強くなった。
しかし、進化論は、このHPでも指摘したとおり、まったく馬鹿げた理論である。偶然の作用で生物が今日の姿になったなどまったくナンセンスのきわみだ。
しかも、神を追い出して外部とのエネルギーのやりとりのない閉じられた系として宇宙を描いているため、エントロピーの第2法則を適用しなければならないのに、適用しない。
閉じられた系において、秩序は一定かもしくは不可逆的に崩壊するという法則だ。
進化論はまったくこの逆なのだ。
進化論によって惑わされたクリスチャンは、聖書をまともに信じなくなった。
これによって、教会が非常に弱くなった。教えがゆるくなったので、様々な異端が入った。
今の教会の崩壊の遠因は、進化論にある。
その後、人々は聖書を寓話として馬鹿にするようになった。
本当の寓話は進化論なのに。
さあ、我々は進化論が間違いだと知っているので、教理を聖書から作り上げようではないか。聖書を無謬無誤の御言葉として扱い、そこから教理を築き上げようではないか。
2009年8月21日
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