社会的評価に振り回されるな
M1で優勝したサンドウィッチマンが「M1で優勝したら回りの反応がまったく違った」と言っていた。
故郷に錦を飾ることもできたと。
世の中ってこんなものだ。判断力がないのだ。審美眼がないのだ。
いや、サンドウィッチマンがダメだと言おうとしているのではない。
サンドウィッチマンは面白いと思う。
そうじゃなくて、世の中ってのは、M1で優勝するかしないかで反応ががらっと変わるレベルの判断力しかないということなのだ。
お笑いに関して本当に分かっている人間は、M1で優勝しようが、売れなかろうが関係ない。サンドウィッチマンの面白さは、分かる人はずっと前から分かっていた。
私は、蔑視の意味でではなく、この世界の90%の人々は、批判力、判断力、理解力において、他の指標を必要とすると思う。
自分の目でよいか悪いか判断できない。いや、そのように教育されていない。
一人で判断するのが怖いのだ。人と異なることをすると孤立するのではないかと恐れている。
とくに日本人にこの傾向は強い。しかし、アメリカ人も同じだ。
ブームとか流行とかにはほとんどの場合仕掛け人がいるだろう。
バレンタインでどうしてチョコレートをプレゼントするのか?チョコレート会社の仕掛け人がいたからだ。
自分の頭で考えるのが苦手な人々は、こういった流行に乗ることによって安心する。
しかし、自立した人間はこういったものに乗るのが嫌いだ。
だいたい、キリスト教嫌い、進化論者、無神論者にはこういった人間が多い。
彼らは本当は何も考えていないのだ。時流に乗っているに過ぎない。
もし自分の頭で考える力があれば、今ごろクリスチャンになっているはず。
理に適っているかどうか判断能力がないから、変なバカ話に騙される。
今の学界で進化論を否定すると、自分の出世に響くとか、そんなくだらない心配に振り回されているから、素直になれない。
クリスチャンに本当になりたいなら、自立しないと無理だ。
捨ててしまえ。社会的な評価とか。
社会なんてのは、「指標」つまり評判とか実績とか学歴などの助けがなければ評価できない人間の集合体である。
こんなものに振り回されて一生を無駄にしたいか?
2008年3月1日
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