外国におけるクーデターと日本におけるクーデターの大きな違いは、「王権を不可侵とするか否か」にあると思う。
外国では、市民革命において、王が廃位された。イルミナティは、フランス革命においてもロシア革命においても、王の首を切った。中国でもイギリスでも、王朝は何度も交代している。
日本ではどんなに権力を持っても天皇の首を切ることはない。
これにより、天皇家は世界最古の王朝に数えられている。
では、どうして天皇家はクーデターによって廃位されなかったのか。
藤原氏が権力を持って蘇我氏や物部氏を弾圧したとしても、天皇家には手を触れなかった。
だから、飛鳥昭雄氏は、藤原氏の背後には賀茂氏がいた、と述べられたのだろう。
この「天皇不可侵」の原則は、太平洋戦争後にも適用された。
マッカーサーは、同盟国の強い要求にもかかわらず天皇を廃位させなかった。
私は、背後に強烈な霊が働くからだと考えている。
藤原氏、豊臣氏、徳川氏など日本を統治してきた人々は、天皇に触れると大変なことになるという事実を知っていたのだろう。
実際に、天皇の座を狙った人々にはことごとく妨害事件が起こった。
蘇我氏は大王家(後の天皇家)を凌ぐ権勢を誇り、遂には自身が大王になろうとしたため、乙巳の変により滅ぼされた(Wikipedia「皇位簒奪」)。
弓削道鏡は、「聖武天皇の出家(神⇒仏)、孝謙太上天皇の再即位(仏⇒神)など神仏混交が進み天皇の地位が変質するなか、孝謙天皇(称徳天皇)の看病禅師として宮中に入り、寵愛されるようにな」り、「天皇に準ずる法王に即位し、家政機関も設置されるなど事実上の女帝との共同統治者となり仏教事業や神祇を司った」。「更に二人の二頭体制によって皇太子を経ず形式的に天皇に即位すべく準備が行われた」が、「間もなく女帝が死去した為実現しなかった」。
平将門は、「八幡大菩薩の使いを称する巫女が宣託を告げ、興世王から「新皇」の号を進呈されたという。新皇位への即位は京都朝廷へ奏上を行っており、相対する新たなる天皇という意味で新皇を名乗った。」しかし、「敵対勢力への対応に忙殺されて翌年には討たれ」た。(同上)
足利氏は、「南北朝の動乱により、天皇家と公家勢力の権力及その権威が低下すると共に、足利幕府の成立以来、その権威は天皇家に迫り、実質的に日本の君主としての役割を担った。とりわけ三代将軍足利義満は朝廷への影響力を強め、公武を超越した権威と権力を持つに至った。」「晩年には、実子義嗣を親王に準ずる形で元服させた。しかしその直後に義満は後継者不指名のまま急死し、四代将軍となった足利義持や幕府重臣により先例無しとして太上法皇位の追号も取りやめられ、朝貢貿易も停止された」。(同上)
いずれを見ても、天皇になろうとした直前に計画が頓挫している。
モンゴル軍が日本侵略に失敗したのも、おそらくこの天皇家の支配が不可侵であるためだろう。
日本の歴史において、神風は、天皇制の存続のためにぎりぎりのところで吹いてきたのだろう。
日本の歴史の中でもっとも強敵だったのは、米国である。しかし、前述のように、マッカーサーは、天皇家を守った。
イルミナティの日本侵略は、それゆえ徹底していなかったと言える。
しかし、その計画は着々と進み、ついに宮内庁へのイルミナティ及びそれと関連するある特定新興宗教の侵入となって現れた。この団体の背後にはロックフェラーがいるのだろう。
昨今の皇室における家族内不調和は、おそらくイルミナティによる皇室への侵略によって引き起こされていると考えることができるのではないだろうか。
姻戚関係を通じて、皇室ののっとりをはかったが、皇太子妃の病気によって頓挫しつつある。
小泉が、皇太子夫妻に男子が生まれないことをよいことに、女系天皇制論をぶちあげた。しかし、不思議なことに、あわや女系天皇制が実現するかというときに秋篠宮に男子が誕生。
それ以前に天皇家に代々伝わる言い伝えによって、秋篠宮がある行動を取った結果起こったという。
おそらく、イルミナティは、日本史において天皇の地位を狙った人々が陥ったタブーに触れたので、自らの墓穴を掘ったのだろう。
それに続くサブプライムローン問題は、リチャード・コシミズ氏によると、日本にとって神風であったという。ある人によるとロックフェラーは、大きな痛手をこうむり、天皇に助けを求めてやってきたという。
では、なぜ日本の天皇家は、不思議な力によって統治を保障されているのだろうか。
私の推測では、それは日本の建国と関係している。
日本は、ユダヤ王朝にとって、逃れの地、安息国、パラダイスであり、戦乱に満ちた中東から見て天国であった。
ユダヤ人はそのことを古代から知っていた。
アッシリア捕囚後に解放された北朝の人々(紀元前8世紀)、そして、バビロン捕囚の後に、ペルシャ王から赦しを得た南朝の人々(紀元前6世紀)は、安息を求め、日本に移住。残りの人々は、ダビデ王統としてパレスチナに戻り、イエス・キリストの出現を待った。
イエス・キリストが十字架にかかり、預言者の預言どおりに贖いを達成し、世界の王となり、もはやパレスチナが王の居住地ではなくなってから、キリストとともに王であり、赦しを受け、安息に入る権利を受けたクリスチャンは、旧約時代から預言されていた安息国である日本に移住した。キリストを拒否した「滅びたユダヤ人」は、ヨーロッパや世界の異邦人の海の中に散り、迫害の歩みを始めた。
日本に移住した天皇家は、その人々のリーダーであり、ダビデの王統に属するユダ族として王として来日した。
北朝の子孫である物部氏(八咫烏・賀茂氏)らは、南朝ダビデ王統の天皇家の来訪を待ち構えていた。
日本において北朝と南朝が合体し、イスラエルが完成した。
ただし、誤解してほしくないのは、私は、天皇家がキリストの役割を果たすとは考えていない。
飛鳥氏が言われるように、あくまでも、天皇家は、天皇陛下、つまり、天の王の階段の下にいる、副官であり、日本を統治するために召された家系であるということだ。
この地上の王は、キリスト以外には存在しない。
おそらく日本の土地は、世界のパラダイスであり、世界に平和と祝福を伝える務めをゆだねられているのだろう。
天皇の支配が超自然的に守られてきたのは、ダビデ王統の正統な後継者であり、ユダヤの真の王キリストを象徴するからだろう。