御心には2通りある
御心には2通りある。
一つは、聖書。聖書に記されていることは、御心の範囲内である。
職業として何を選択するか迷っているならば、まず、それが聖書的職業かどうかを基準とすべきだ。
泥棒とか人の弱みにつけこむような職業は御心ではない。
もう一つは、個別の導き。
大枠として聖書の教えとして、我々は御心を知ることができるが、それだけではない。
その時間、空間においてピンポイントで示されることがある。
イスラエルの民は、一つ一つの行程において、指示を受けた。
戦う際に、主の導きにしたがって戦いを開始すると勝利し、主の導きがないのに勝手に戦いを始めて失敗した。
この「タイミング」の察知は、信仰の経験にしたがって身についてくる。
10年ほど前、車のディーラーをやっていた友人が、車を借りたのに金も払わずに返さない人に困っていた。
何度か引き取りにいこうとしたが、神からストップがかかった。
「今は御心ではない」という感覚があったし、動こうとすると、変な妨害があった。
しかし、ついに回収する日がやってきた。店を訪れてその話を聞いた私が「今引き取りに行きましょう」と言ったのだ。
私と彼はいっしょにその客の家に行って合鍵で車を持ち出した。
御心の時だったので、すいすい物事が進んだ。
御心の時に行うと、不思議な感覚、霊的な波に乗っているという感覚がある。
すべてのことに時がある。そしてその時まで待つことができずに、フライングをするとろくなことがない。
私は、ブッシュ大統領のイラク戦争にフライングを感じた。
御心ではないと思った。
ブッシュ大統領はKYだった。
政治家はKYではだめだ。
御心でないことをごり押しするような傲慢なリーダーを持つ民衆は不幸だ。
2009年10月19日
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