すべてのことは予定されている3


よく予定論を誤解して「それじゃあ、どんなに努力しても人間は神の決定を変えることができないじゃないか」という人がいます。

「救いに予定されていなければ、信じようと努力することもむなしいことになる」と。

神レベルの問題と人間レベルの問題を混同しています。

神レベルではすでにすべて決定されているのですが、人間はその決定を知りません。

もしある人が信仰を持たずに亡くなった場合には、「あの人は予定されていなかった」ということが分かります。

しかし、生前だれが予定されているか分かる術はまったくありません。

死ぬ直前になって回心する人もいます。

ヤクザだから予定されていないと結論できない。ヤクザでも殺人犯でも救われる人がいる。

自分がこれからどうなるか誰もわかりません。神の御心のうちには自分に関して計画がありますが、しかし、それは隠されています。

ですから、人間レベルでは、努力すべきなんです。

聖書でも、神はそのような努力を喜ばれるとあります。

熱心になって悔い改め、善行をするように、信仰を深めるように勧めがあります。

だから、私たちの側では、その命令を従順にこなすことです。

神のレベルの決定を勝手に判断して「やっても無駄だ」と結論すべきではない。

 

 

2009年7月19日

 

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