今、リバイバル(健全な意味での霊的復興)が起こっている。
それもとくに西日本、歴史の古い町で。
エゼキエルの枯れ骨の物語が成就しているように思える。
蘇民将来だ。
神は古代日本の中に福音を広めておられた。
神はその子孫を覚えておられ、時が来れば彼らを復活させる計画だったのだ。
京都は十字架の形に作られている。
しかも、鴨川を軸に。鴨川の脇には薬効のある樹木が植えられていたという。
まさに、黙示録の新エルサレム。
御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。
(黙示録22・1-4)
中央アジアの弓月国(今のキルギス付近)から来た秦氏は、日本を新エルサレムと見ていたのだろう。
そして、そのことをどうやら京都の人々は知っているようだ。
祇園祭では、シルクロードに沿う文物が山車の側面の図に描かれている。エジプトのピラミッドや、イサクの結婚の話など。
TVのインタビューで、祇園祭の主催者がはっきりとこの祭りのルーツはユダヤであると公言している。
http://www.youtube.com/watch?v=4uVVrePl9e8&NR=1
(0:15)
鞍馬寺のウエサク祭などは、この証拠である。
我々は、秦氏とキルギスとの関係をもっと調べなければならない。
京都は、十字架の町である。
そして、十字架の頭部にあたるところ船岡山には、稲荷がある。
稲荷は、INRIから来ている。
十字架のイエスの頭上に掲げられたのがINRI。
しかし、秦氏は京都から追い出された。
蘇我氏に迫害されたというが、本当はどうだろう。
京都の建設者秦河勝は、姫路に流された。
東北に散った秦氏にちなんで、東北は奥羽という。
奥の羽田(ハタ)だ。
岩手県に蘇民祭があるのはこの名残だろう。
以前Aさんという方からメールをいただいた。
Aさんによると、聖徳太子の従兄弟蜂子皇子が迫害を逃れて山形の鶴岡に来て、出羽三山を開いたそうだ。
Aさんは、羽黒山の麓にある場所で先祖代々1400年住んでいるそうだ。
あるパーティで知り合った女性と結婚したが、その女性が北関東の出身。
このあたりも秦王国。幡羅郷がある。
上秦郷・下秦郷・幡羅郷はその地名から明らかなように渡来系の人々を中心にした地域であったと考えられる。
http://www.musashigaku.jp/newpage21.htm
つまり同族と結婚されたということだ。
さあ、これから秦氏のリバイバルがあるだろう。
だから、それは、北関東や東北にも波及するだろう。
蘇民将来が始まった。