言葉には霊が乗る
先日出席したある教会において、賛美の奉仕をする人の一人が、歌を歌う前に、
「毎日、今日はいいことないかなぁ〜って思いながら散歩しているんです。そして一日が終わる時に、今日もいいことがなかった、とがっかりします。」
と言った。
最後に、このつぶやきを自戒する言葉が出てくるのかと期待していたがついに出なかった。
なんだ、なんだ?
これは、本当にクリスチャンの言葉だろうか?しかも、人前で奉仕する人間の?
クリスチャンにとって、「いいこと」って何だろうか?
クリスチャンにとって、すべてが「いいこと」ではないだろうか?
すべては神の御手を通して起こるのだから、すべてが「神の贈り物」である。他人から見れば不幸に思えることでも、何らかの意味があって起こるのである。
人間は、不幸な出来事がなければ、堕落する。慢心して、鼻持ちならない人間になる。不幸な出来事は、神のご配慮で起こる。人間がサタンと同じ裁きに遭わないための神の愛の贈り物である。
人前で奉仕する人々は、言葉に注意してもらいたい。
少しでも否定的な言葉が出てくると、サタンはそれを利用して、否定的、悲観的な感情をクリスチャンの心の中に起し、教会全体から活力を奪い、ボケボケの教会にしてしまう。
言葉には霊が乗るのである。
霊は人の言葉を利用しようと身構えている。
2005年12月5日
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