格差悪玉論を捨てない限り日本から活力は奪われていく


格差社会は悪だという論調がさかんだが、本当にそうだろうか。

考えていただきたい。自由は、格差を不可避的に生み出す。

たとえば、野球は実力勝負でやるから見ていて面白いのだが、実力勝負ということになると、個人の能力の差が如実に表れ、それに比例して、収入の格差も如実に表れる。

イチローのような才能がある人間は、他の人間の千倍も稼ぐ。

これで野球界において文句が出るだろうか。

「不公平だ!イチローばかり儲けやがって!」と。

仮に、このような意見を採用して、全員同じ給料にするとする。どうだろうか。やる気がでるか?能力のある人間は、自分の才能を認めてくれるアメリカなどに逃げていかないか?

日本は、格差が少ないからいい社会だというのは一面の事実だが、しかし、それは社会をつまらなくする。

相撲の世界が、年功序列になって客が入るか?

よく米国は格差社会で、貧富の差が大きい、と批判する人がいるが、たしかに格差社会ではあるが、しかし、最貧層でも北朝鮮よりはまし。

日本も自由主義圏で格差があるが、日本で最貧層は、他の第三世界の国では富裕層になる。

アパルトヘイト時代の南アフリカでは、黒人差別があったというが、世界の黒人の中で一番よい生活をしていた。差別が撤廃された現在どうなったか?世界一治安の悪い地獄のような国になった。

自由は不可避的に格差を生むが、その自由競争によって、社会全体の経済的競争力が高まり、経済の底が全体として上がるから、全体的に幸福に向かうのだ。

自由を撤廃して、人為的に格差を解消すると、自然さが奪われるのでいろんなところに矛盾が出るようになる。

まず、やる気のある人間、有能な人間が逃げていく。

どんなに才能があっても累進課税でガンガン持っていかれると、馬鹿らしくなる。

そして、格差是正社会の一番の不利益は、社会全体、国全体の力が落ちるところだ。

たとえば、A校とB校があり、互いに学力で競い合っているとする。

A校では、成績優秀な生徒を表彰した。B校では、成績優秀な生徒の点数を削って、それを強制的にできない生徒の点数に加算した。全体で成績は均一化した。

さて、どちらの学校が全体的に成績が伸びるだろうか?

もちろんAだ。Bで優秀な生徒は、頑張れば頑張るほど取られるので、やる気を失っていくだろう。そして、成績の低い生徒が尊重されるので、そちらに合わせるようになるだろう。

累進課税制度とは、Bモデルの経済制度であり、社会全体からやる気を奪っている元凶である。

自由と格差解消は両立しない。

社会の活力と格差解消は両立しない。

累進課税制度とは、マルクスが共産党宣言で唱道したものであり、その目的は、私有財産の没収。社会を国家の手に一元化するための手段である。

格差悪玉論を捨てない限り、日本から活力は奪われていく。

 

 

2010年11月19日

 

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