聖書をいじる罪は永遠の刑罰に値する


注意していただきたい。

キリスト教は、正典が完成されており、追加は一切ないという前提で成立している。

「それは、おかしい。科学のように後から情報が追加されてよいのではないか。」

という疑問が出たら、信仰は破船します。

こういう「完成された正典」を信じないキリスト教は、ことごとく異端です。

「え〜、異端ってのはおかしい。それはあまりにも狭すぎませんか。」

というでしょうか?

いいですか。

聖書は普通の書物ではないのです。

普通の書物ならば、後で補足とか削除とかの可能性がある。

聖書は、神の言葉なのです。

だから、補足も削除もありえない。

今になって新しい聖書啓示など絶対にありえません。

もう一度いいます。

「完成された正典」を信じないキリスト教はキリスト教ではなく、異端です。

次の言葉をよく考えてください。


私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(黙示録22・18-19)

普通の書物に追加とか削除しても、著作権のある人間に訴えられるだけですむ。

しかし、聖書に追加をすれば、神は、「黙示録に書いてある災害をその人に加えられる」のだ。

聖書から削除をすれば、神は、「この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる」のだ。

聖書に関して、軽々しく新しい文書を持ち出すことがいかに大きな災害を招くか考えてほしい。

神の言葉をいじる罪は、永遠の刑罰だ。

 

 

2009年12月14日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp