異邦人キリスト教は全部だめだったのか?
これは、日本のキリスト教にとって罠になるだろうから、あらかじめ言っておかねばならないと考えている。
それは、これから起こるであろう異邦人キリスト教から、ユダヤ系、セム系キリスト教への転換において起きると思われる悪魔の攻撃である。
私の友人Z氏と先ほど電話で話をしたら、しきりに「異邦人キリスト教は全部だめだ。ことごとく間違っている」と言ってきかない。
彼は、ニケア公会議はユダヤを除いて作り上げたから間違っていた、という。
たしかに、ユダヤに属するものを拒否して異邦人キリスト教は出発した。
だから、旧約聖書や律法などが軽視されることになった。
しかし、異邦人キリスト教は、修正を行っているのだ。
それは、カルヴァンである。カルヴァンは、律法の効用を認めている。
それが十分ではなかったため、ラッシュドゥーニーが登場するわけだが、異邦人キリスト教の側でも、ユダヤ性の回復という点で歩み寄りがあった。
そして、さらに重要なのは、異邦人キリスト教の中で作り上げた神学は、ユダヤ人クリスチャンが作り上げたものよりもはるかに高度であり、異端との戦いの中で練られてきたということだ。
我々は、今、極端に陥るという誘惑を回避しなければならない。
旧約聖書を学び、律法を回復し、本来のキリスト教に帰ろうというのはよいが、「異邦人が作ってきたキリスト教は全部だめだ」ということになると、異端が容易に侵入するする。
2000年の神の働きを否定することにもなる。
2000年かけて正統的キリスト教を作り上げてきた教会の歴史を否定することは大きな間違いである。
ユダヤ人キリスト教を学ぶにしても、教会史と教理史を学んでからである。
西洋医学の間違いを説く人々がいる。
「医者にかかってひどい目にあった。今の医学はだめだ」というような人。
彼らは「玄米がよい。肉を食べるな。砂糖もよくない。薬は毒だ。・・・」という。
では、それだけでやりたまえ、といいたい。
徹底して貫け。
できないだろう。
なぜか。西洋医学は、妥当だからだ。西洋医学が積み上げてきたものを全部捨ててやっていけるか?
極端はよくない。
学問において、研究史は非常に重要である。
どこまでわかっていて、どこから未知なのか、を見極めなければ研究に意味はない。
すべて積み上げなのだ。
大切なのは分別である。分けることだ。よいものと悪いものを区別すること。
よいものはよい。悪いものは悪い。区別して、よいものだけを受け取る。
キリスト教は、異邦人(クリスチャンは異邦人ではないのだがユダヤ人と区別するという意味で便宜上こう呼ぶ)が作り上げてきたキリスト教の深い知識を前提としない限り、単なるユダヤ人崇拝にしかならない。
2008年12月8日
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