異端者の心を一言で表現すれば


<ストレイ・シープ様>

山谷大尉の「信仰」の本質

すでに明らかになりましたが、彼は聖書ではなく、注解書を信じているようですね。パウロが「神学的方法を用いている」とかいうあたり、パウロが書いた当時に山谷大尉殿が信奉する神学があったのですかね?パウロは神から直接啓示を得て、聖書と照らして書き記したのではないのでしょうか?

大尉はそこそこオツムはよろしい優等生のようですが、どうも本質的なところは「バカの壁」のようです。まあ、オタクですね。元々オカルト少年で、ハリポタもご推薦です。オカルトがいかにおそろしいかは、今回の事件で明白ですが。おそろしい牧者がいたものです。


<tomi>

この「バカの壁」って絶対に崩れないと思います。

今までローマ書を用いての議論は何度もやっているし、同じ質問した。

これ、同じように「ガラテヤ書」を律法否定論として解釈するフルプレテリズムの先生にもしたけど、解答なし。

「もしガラテヤが律法を否定しているなら、パウロが他のもろもろの個所において肯定的な発言をしているのは、どう考えるのか???」

私、残念ながら、彼ら頭いいとは思いません。

本当に頭がいいのであれば、矛盾した個所をまとめあげる努力をするはずだが、やらないんですよ。

無視なんですよ!!!

つまり、自分の考えを認めるために聖書の都合のいい個所を選んで並べて放言するだけ。

こりゃ、本当に頭わる〜いんですね。

その反面、こちらに論理矛盾があると見るやするどく突いてくる。

つまり、頭ほんとは悪くない。自分で自分が何をやっているか分かっている。

横車を押しているのを「知っている」!!!

でも、自分の考えを押し通すことしか関心がないから、真理なんてどうでもいいんです。めちゃくちゃやっても心が痛まない。

だから、私は、異端者の問題は、頭の問題ではなく、心の問題だって思っています。

異端者の心を一言で表現すれば、

「俺は、自分が言いたいことを言いたいのだぁ!」

ということ。

 

 

2004年6月8日

 

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