お話にならん


キリスト教文化の深くて広い遺産を背景として持っていない人間は、恥ずかしくもなくキリスト教やキリスト教文化について語る。自分が批判しているものの大きさを知らないドンキホーテ。

デカルトからロック、そして、カントに至る流れは、認識論について議論をする場合には常識として持っていなければならない基礎的な知識だ。

認識論に関する歴史的議論を前提としないから、批判したものもちゃんと読めない。

宗教→その立場の中だけで思考し相手と議論できない→カルト

としか見れない「ベッドに合わせて足を切る」人と話しても無駄です。

 

 

2005年5月16日

 

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