マルキオン化した現代の教会の誤謬を糺す人間を拒否するな


「律法は旧約時代で終わり、新約時代には適用できない」と考える人は多いと思う。

しかし、パウロはこのように言う。


それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。(ローマ3・31)

旧約律法が新約時代に廃棄されていない証拠は、この一つの箇所に留まらないが、しかし、この一箇所でも、いわゆる新約時代律法廃棄論は粉砕される。

律法廃棄論は、けっして正統的な聖書解釈ではない。

それは、マルキオン主義という異端である。下記Wikipediaを参照せよ。

彼は旧約の神(世界を創造した神・律法神)は、怒りの神、嫉妬する神、不完全な神であり、旧約の神がつくった世界は苦しみにみちた世界であると考えた。一方、イエスの示した神は、旧約の神とは異なるまことの神、いつくしみの神であると唱えている。

このことから、マルキオンはキリスト教徒にとって旧約聖書は必要ないと考え、自分たちのグループのために本当に必要な文書のみを選択しようとした。これがキリスト教の歴史における最初の正典編纂作業である。マルキオンは福音書の中でルカによる福音書のみを選択し、新約聖書の諸文書の中から特にパウロの手紙を重視している。マルキオン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%B3

軽々に律法を否定する現代の教会は異端化している。

その異端化を進めた張本人がリベラル神学、ディスペンセーショナリズム、そして、バルトである。

我々は、この3者に騙されている今の教会を正しい位置に戻す必要がある。

何かの説を主張する場合、明確な証拠を聖書から導き出さねばならない。

また、ある人が何かを主張しているのを批判する場合、聖書からはっきりと証拠聖句を挙げて反論しなければならない。

単に自分の好みなどを優先してはならない。

神は教会を愛しておられ、偽りの中に放置されない。

必ずそれを糺す人間が現れる。

その人が現れたら彼の意見に耳を傾けなければならない。

彼にどのような態度を取るかによって、あなたの永遠の地位が決定する。

つまり、祝福か呪いか。

 

 

2008年7月5日

 

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