国は個人の出産について口出しするな
女性を出産機械と表現した厚相。
「人は心に満ちているものが口から出る」と聖書にあるとおり。心にこういった気持ちがあるのだ。
どういった気持ちかというと、「個人の出産についてまでコントロールする人間」としての気持ちだ。
これが国家が神となった国の指導者の考え方である。
我々は、国は国民の生活の様々な面に介入するのを止めて欲しいと考えている。
「それはあなたの仕事じゃない!」と叫びながら。
神は男に使命を与え、女に彼を助けさせ、子供にその使命を継がせられた。
この世界を支配するのはあくまでも個人及び家庭である。
個人及び家庭が仕事をし、発展させ、富を築き、蓄え、次世代に継がせ、さらに発展させ、そして、ついに世界の隅々にまで神的文明が行き渡り、神の御心が地球上のすみずみにまで及ぶこと、これこそ神が聖書において示された世界統治の方法である。
どこに国が担えと書いてあるだろうか。
神がイスラエルの政体としてふさわしいとお考えになったのは王制ではなかった。それは、神を主とする家庭の総合体であった。
国のトップが下に命令を下すという形ではなく、個々の家庭が有機的に集まり、問題が起これば、下から上に向かって問題が解決される(ボトムアップ方式)システムであった。
国家とは、国内において義が支配するために置かれた仕組みである。
犯罪者を取り締まり、罰し、勤労者や遵法者が安全かつ平和に生活できるように環境を整えるのが国家の役目である。
生産は家庭に与えられたのである。
だから、国の高官、政治化、役人などは「指導者づら」してはならない。
我々は義務教育を何か良いことのように考えてきた。
しかし、それはマルクスによって、国家主義体制確立にとっての重要な土台と考えられていたのである。
2007年2月1日
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