人質事件を振り返って
人質たちが解放された後、「またイラクに行きます」と言ったら、「迷惑かけるな」と批判がきたという。
これはどちらの側もおかしい。
人質側:
外務省が避難勧告を出している国にすすんで行ったのだから、完全に自己責任である。
「死ぬ覚悟がないなら、死ぬ恐れが十分にある場所に行ってはならない」というのはアタリマエの話である。
彼らがボランティア精神と良心から出向いて行ったのであれば、立派なことではある。しかし、それだけの覚悟をしていないのであれば、そのボランティアとは一体なんだったのか?ということになる。
批判者側:
ボランティアに行くなというのは言い過ぎである。
ボランティアや取材などの活動に携わることは貴重なことではある。それを止める権利は誰にもない。
人質側は堂々とボランティアに行けばよいのだ。
しかし、行く側も送り出す家族も覚悟が必要である。そして、人質になっても何が起こっても他人のお世話にならないという決意が必要だ。
提案:
政府は、イラクに自発的に行く人が命を失うようになっても関知しません、と最初から彼らに宣言すべきだ。そして、国民は、行く人に向かって「ボランティアなどするな」というべきではない。それは余計な御世話だ。
ちなみに:
自由な社会とは冷たい社会である。
温情を発揮して、「ほら、だから言ったこっちゃない。今後はこういう危険なことはしちゃだめだよ。これからは私の許可なくそんな危ない場所には行ってはいけない」というのは、実は、奴隷社会への入り口である。
このような管理は、温かいように見えて、実は緩慢な飼い殺しである。
自己責任を負わせて突き放すことのできない親が子供をだめにするように、温情あふれる国家は国民を堕落させているのである。
2004年4月20日
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