日本文化とユダヤの陰陽思想
<A様>
天智・天武天皇のころに日本の正史から九州王朝の存在は消されました。
九州王朝は半島の伽耶・任那それから倭(半島に多く住んでいた)と関係が深かったようです。
対して、ヤマトには百済や高句麗の上流・中流の人々が戦乱を逃れてやってきました。
半島には中国系の人々が多く住んでいました。
と言うことで現在の本州人の50パーセントが中国人や韓国人特有の遺伝子をもっています。
これの意味するところは、人種的には、本州人は中国人や韓国人と同じ民族と言うことになります。
AD500年に漢字(人)が伝えられましたが、様々な部族国家のなかで3割の部族が漢語を理解できた日本列島でした。
しかし当時の上流階級は違います。そこには西アジアのゾロアスターの証拠が残っています。
彼らは国を征服しましたが、長い年月とどまることで母体となる下層階級のDNAに吸収されてしまいます。
その後、百済日本が建国され平城京国家となる頃には朝鮮各種族が東北以南で支配的になっています。
ナラとは朝鮮語で国という意味があります。
しかし当時の東アジアは国際的な民族移動が激しく特にアーリア系の騎馬民族は様々な集団を吸収して日本に来たもようです。
ですから、隠れた部分で何があったか、いまのところ証拠はつかめません。しかし、
< そして、ご神体である十字架と契約の箱も出てくる。
> そのようになれば大変よろこばしいことであると考えます。>
こういった証拠は何者よりも強いものです。
変質した仏教を受け入れつつ、本当の信仰を守ることは当時の支配大国である隋からミトラ・ゾロアスター的或いはイエスの宗教を消さないためのギリギリの選択だったでしょう。人口的にも多い民族が納得できるものを編集する必要があったのではないでしょうか。
「和」とは自分の主張を後ろに持っていくことで成すことが可能だった。・・・と思えないでしょうか。
日本神話に見られるスキタイ・ギリシャの神話の一致も、「トラの創世記などの原理」の保存はそれを物語っているようにも推測できます。
長くなりました。
アミシャーブの調査が話題になると面白いですね。
<tomi>
まことに興味深い説明を感謝します。
記紀の話や天皇の即位式の形式など、私は聖書に精通したユダヤ人が見たら「これは聖書の記述と一致している」と感じるのではないかと思います。
忍者は秦氏の文化ですが、忍法の巻物はトーラーの巻物と似ています。
「トラの巻」というのはここから来たのではないかとすら思います。
しかし、不思議なことに日本には「名残」は残っているようなのだが、「本体」が欠落しています。
忍法の巻物は出てくるが、トーラーそのものは消えている。
創世記に酷似している創世神話はあるが、創世記そのものはない。
おそらく、ある政変などで、ユダヤに属するものが一切禁止された、もしくは、何らかの理由で陰の部分に回されたと考えるのが妥当ではないかと思います。
どうも秦氏のやることには、このような光と影の二元論があるように思えて仕方がないのです。
実際、イエスご自身も、例え話を二種類用意されました。
一つは、知恵のある従順な人向けの分かりやすい話。
もう一つは、知恵のない不従順な人向けの混乱させる話。
旧約時代の預言者に向かって神は「外国の言葉で語れ」とすら言われる。
「それは彼らが癒され、救われることのないため」。
つまり、頑固な者にはあえて分からない言葉を語りなさい、と。
究極の皮肉。
このように神の啓示には、光的なものと陰的なものがあった。
しかし、回復の時には、神は人々に光を示される。
ペンテコステの日、つまり、イスラエルの回復の日に、神は人々に外国の言葉で話させた。それを聞いた各国から来たユダヤ人たちは、「これらの人はどうして私たちの言葉を知っているのか?」と驚いた。
ディアスポラで分断され、それぞれ別の言葉で話すようになっていた契約の民を一つに集めるということがこの異言の意味。
ある意味において、日本の歴史は、その本質が陰に隠されていた。
しかし、回復の日が来れば、それは表に出て、理解できる形になって再登場する。
私は、今日本がこの段階に来つつあるように思えるのです。
2007年1月3日
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