ヘンリー・スティムソンに感謝しよう?


「萬晩報 コラム配信ジャーナリズム」(2006年03月13日(月))において、「京都への原爆投下に反対したヘンリー・スティムソンに感謝しよう」と述べてありました。


 歴史には「もし」はないが、この時期にスティムソンが陸軍長官でなければ、日本に最も強烈な打撃を与えるためにも京都の市街地に原爆投下という可能性は大いにあった。スティムソンは、7人の大統領に仕え、フーバー政権で国務長官、ルーズベルト、トルーマン政権で陸軍大臣を歴任し、原爆投下から5年後に83歳で亡くなっている。

 京都を救ったスティムソンという人物がいなかったら日本の文化の核が抹殺されたかもしれないのである。広島、長崎の犠牲者、遺族の方に申し訳ないが京都を救ったスティムソンに恩返しをすべきである。京都、日本はもっとスティムソンを知るべきである。そして、日本、いや京都は、スティムソンの家族や縁のある人を京都に招待し、スティムソンの功績を再考すべきであろう。

しかし、7人の米国大統領に仕えたヘンリー・ルイス・スティムソンは、スカル・アンド・ボーンズの中のスカル・アンド・ボーンズと呼ばれる人物で(1888年入会)、フランクリン・ルーズベルトとトルーマンのもとで、マンハッタン計画(原子爆弾開発)のリーダーを務め、広島と長崎への原爆使用を決定しました。

それ以前に、彼は、ロンドン海軍軍縮会議においてアメリカ代表団議長として、また、フーバー政権(1929-1933)の国務長官として、日本海軍力の制限のために中心的に働き、さらに、フランクリン・ルーズベルト政権においては、経済封鎖によって日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃へと駆り立て、ついに、米国を太平洋戦争に参加させた張本人です。日本は、大陸での利権に拘るあまりに、スティムソンの陰謀にまんまとのせられました。

また、彼は、戦時中、日系米国人を強制収容所に送った最高責任者でもありました。

このような人物に感謝なんかどうしてできるでしょうか?

 

 

2006年3月13日

 

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